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告知と放談の部屋☆ 告7「おめでとうございます」 [テレビ]

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令和三年の始まりです。

 先年はコロナ、コロナですっかり混乱させられっぱなしになってしまいましたが、今年はまだ正式な決定はないものの、今年は東京オリンピックの予定があるかもしれません。何とかすべてが落ち着いた環境が整えられることを望みたいものです。

ブログのスタートが三日なのですが、いろいろ考えたいこともあって、一週間遅らせて十日スタートにしたいと思います。しかし翌日が成人の日で休日になっていますので、次の更新日に当たる十七日の分も同時に更新してお楽しみ頂こうと思いました。

これからは話の進み具合から考えても、素材は映像から活字の世界へ移って行く頃のお話になるので、影像と活字がすり替わっていくちょっとこれまでとは違った雰囲気のお話を書くことになると思いますが、現在すでに書き上がっている作品があったり、新たに挑みたい素材もあって、そろそろそれらをどうするかも考えてみようとも思っています。

取り敢えず映像時代から活字の世界へ移り住む時代の話を書きながら、次の結論を出したいと思っています。

いろいろと今後のことを考える一年にしたいと思います。

どうぞ、しばらくお付き合い下さい。

                                藤川桂介


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告知と放談の部屋☆ 告6「今年のブログ仕舞いのご挨拶です」 [テレビ]

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 いよいよブログを始めてから二年目を終了する年末がやって来ました。

すべて書き足りないことが多いのですが、ブログというものを少しでも読んで頂くために、かなり省略せざるを得ないことが多くなったためです。何とかそれを避けようとはしてきたのですが、まあブログという制約もありますのでご容赦頂きたいと思います。お陰様で、かなり沢山の方から毎週楽しみにしているというメールを頂くようになり、それを支えに書きつづけました。

これまでの支援に感謝しながら来年もよろしくとお願いしたいと思っています。

果たして来年はどんな年になるかまったく判りませんが、現在はつづけてきた素材を終了したら、どんなものを発表したらよいかと考えたりしているところです。今後の方向については、これからじっくりと考えたいと思います。

そんな訳で新年は焦らずに、1月10日からスタートしたいと思っています。

 どうぞよろしくお付き合い下さい。

どうぞ良い越年をして、素晴らしい新年をお迎えください。

 

                                藤川桂介


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告知と放談の部屋☆ 放68「GMに憧れ入社志願の女性」 [テレビ]

 

 社長がどうであれアニメーションのファンは、それぞれ作品を観て、レコド化された楽曲を訊いて、DVD化された作品で改めてそれぞれの夢を見るようです。

 勿論その中でも、大きなヒット作品ともなれば、その作品にかかわるさまざまなグッズが制作されて販売されます。この頃はレコド化されて、ドラマが収録されていたり、劇中の音楽がすべて収録されていたり、時にはDVD化されて、その作品を自分のものとして見たり聞いたりすることもできるようになりました。特に「ゴットマーズ」ファンは、それらにお小遣いを投入して、好きな作品をさまざまな形でそれらを身近なものとしておきながら楽しんでいました。

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しかしそうした形で憧れた作品と向かい合うというのは、ファンとしては大変おとなしいタイプの人で、作品はあくまでも作品として評価をしているのですが、この頃のようにアニメーションが動画といわれていた時代から飛躍して、大人にも評価を得たカルチャーとして定着してくると、冷静に冷めた目でそれを見届けているだけということでは満足していることができなくなっていきました。脚本家になりたいと思う人は少ないかもしれませんが、ごくわずかな人の中にはさまざまな形で弟子入りを嘆願してくる人もありましたが、多くのファンのみなさんは声優になってさまざまな作品に出演したいと思う人、気にいったキャラクターを演じてみたいという人、ファンを熱狂させる絵が書きたいと思う人、スタッフを率いて思う作品を好きなように作ってみたいと監督を目指したいと思う人がほとんどであったと思います。いずれにしても若い人にはいつかその世界の一員となって、感動した作品のような作品にかかわりたいと思う人が多くなってきていました。しかし実情を申し上げると、彼らが憧れる世界が通常の仕事で働く環境とはかなり違ったものがあって、好きなアニメーションを振り切って別の仕事に転身してしまう者もかなりでてきたりしていたのです。確かにあの頃は、外で眺めているほど夢の世界ではありませんでした。業界を知る人の間では3Kの世界といわれつづけていたのです。原稿を受け取りに来た制作の下働きをしている若いスタッフの現状を告白され、つい同情してしまった私は、新宿の大きな中華料理店で食事をおごってあげたことがあったくらいです。そのくらいにあまり恵まれた仕事場とは言えなかったのですが、「ゴットマーズ」が放送されていたころは時代の変化もあって、前とはかなり変わってはきていましたが、そうかといって大幅な改革があったわけではありません。アニメ―ションの世界で働きたいといっても、実際はとても夢を見る状態にはなっていませんでした。そんな時にやがて「ゴットマーズ」のような作品を制作したいという大望があって、東京ムービーへ入社してきた女性があったということです。これは放送が終わってからかなり時間が経過した頃に知ったお話です。番組は1982年に放送が終了していますから、入社したのは十二年たった頃だったといいますから1994年のことです。もうその頃までに、「十七歳の伝説」も1988年に公開されていますから、それから考えても更に6年後のことです。Iさんは当時中学生であったといいますが、兎に角彼女は「ゴッドマーズ」の絶好調の時代を生きてきたわけで、彼女はその感動を胸に秘めて温めてきたのでしょう。そしていつかまたそれを制作できるかもしれないという純粋な夢を描きながら勤務していたようです。私が彼女のことを取り上げたいと思ったのは、社長のH氏の軽視とは別に、兎に角「ゴットマーズ」の制作にかかわりたいという作品を楽しむということよりも、自ら作る方に進もうという積極的な目標を持った異色の社員だということでした。勿論そんなことを願ったとはいっても、直ぐにさせて貰えることはありませんし、この時点では「ゴットマーズ」を再び制作するという話もありませんから、社員たちはみな彼女のことを笑い話のように話していました。しかし私は彼女の行為というものには、時代の推移によって生まれてきた新しい女性像なのだという姿を感じ始めていたのです。何事にもやろうとすることについては、自信を持ってつき進もうという積極性は、かつてほとんど見かけない姿です。ファンの熱望に応えて、映画化を呼び掛けて10万人という署名を集めて実現してしまったという女性パワーがさく裂してしまった先輩たち、男性の場合とは違った形でのマーグというキャラクターへの思いを、大々的なイベントとして実現してしまうという先輩たちの様子を見つめながら、いつかみなが憧れた「ゴットマーズ」を自分もその一員として作ってみたいという、楽しみ方を大きく膨らませてきた先輩女性たちとは違って、その原点となる作品をもう一度作りたいという意欲を持って入社してきたのです。その思いは叶えられませんでしたが、Iさんの思いはしっかりと受け止めてきたつもりです。私が彼女とはじめて出会ったのは、所用があって文芸部へ出かけて行った時でしたが、今は兎に角アニメーションというものの基礎的な知識を得るために、文芸部へ配属されて新作の素材探しに努力中だということでした。しかしその長であったのが、かつて「ゴットマーズ」の文芸の責任者であったO氏であったことは幸運だったのではないでしょうか。そこで彼女は屈託のない表情で「ゴッドマーズ」への思いを語ってくれましたが、Iさんとの付き合いはその時から始まりました。今はアニメーションに携わる者として、着実に成長している姿を見せてくれています。そんなところへ、1981年に放送が始まってから実に20年近くもたって、「ゴットマーズ」は思いがけないことに出会うことになったのでした。

 横浜の「シネマノヴェチャント劇場」で上映する、映画作品を発掘することに協力しているスタッフの一人であるT氏の提案で、「六神合体ゴットマーズ」を原点とした横山光輝と私の共同原作になる「十七歳の伝説」という作品を、久しぶりに上映しようということになり、番組を制作した東京ムービー(現TMS)の熱烈ゴットマーズファンであるIさんに協力を依頼することになったのです。ついに彼女は「ゴットマーズ」と直接出合う機会に巡り合ったのです。かつて放送を見て熱狂したファンとの再会の場にもしようということになって、私もこれまで公にしなかった秘話の紹介をはじめ、番組のメカデザインの設計を担当して下さった亀垣一氏、番組のヒロインである女戦士ロゼを演じて下さった鵜飼るみ子さんと共に、食事を楽しみながらかつての熱い思いを語り合うことができましたが、実は私はこの日鵜飼さんと対面するのがはじめて出会ったのです。放送中はまったく出会う機会がありませんでした。実に二十年ぶりにやっと対面を果たすことになったのでした。劇場の関係で100人だけという条件で募集した参加希望者は、抽選した結果選ばれた人たちだけになりましたが、今回の稿の終わりを祈念して当日の写真を紹介しておこうと思います。

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               「ゴットマーズ・ファン健在」1.jpg 「ゴットマーズ・ファンとの交流」1.jpg

 

中には「ゴットマーズ」で出会い結婚にまで進んでいた方々もいらっしゃいました。彼らは今も時代の先端にいて頑張っています。その胸の内にはかつて夢中になった作品の思い出がいっぱいに詰まっています。私はその青春の片隅に、今でも存在しつづけていられることを、大変嬉しく思っております。みんないい年を迎えましょう。


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アニメと音楽の部屋☆ 放67「GMのヒットを冷笑する社長」 [テレビ]

 

ゴットマーズの人気は、放送を重ねるうちに、落ち着くどころか日増しに高まっていきました。番組が始まった頃からその様子については、アメリカに滞在しているT社長にも連絡がいっているようで、たまたま日本へ帰ってきた時に、社内で私と出会った時には、彼は薄笑いを浮かべながら、実に失礼な言葉をかけてきたものです。「ご苦労さん」とでもいってくれるのかと思っていたのですが、へらへらと薄笑いをしながら、「ヒットしたんだって?」といって行きすぎようとするのです。

私は「お陰様で」精一杯突っ張って答えるのが精一杯でした。

「ゴットマーズ」を回想するにあたって、彼との思い出だけは、兎に角屈辱の思い出として、忘れられない記憶になっています。

 社長のT氏は1976年に東京ムービーの社長になったのですが、もともとは人形劇団をやっていた人で、人形を動かすこととアニメーションでキャラクターを動かすことは同じだろうという実に大雑把な考え方で経営をし始めたのですが、彼は間もなくアメリカへ飛んでNEMO・・・ニモというアニメーション作りに参加することになりました。そのために彼はほとんど拠点をアメリカにおいて活動し始めるのですが、日本の方は人形劇団時代からの片腕であったI氏に文芸部門を任せて、まったく日本でのアニメーション制作にはかわろうとしませんでした。

 このI氏は私にとっては大変かかわりのあった方で、かつて電通の「ムーミン」の企画を作っていた時に、人形劇で関係のあるNHKで「ひょっこりひょうたん島」という人形劇を書いていた、井上ひさし、山本護久氏に脚本を依頼していて、電通から提出した企画を無視して制作をし始めてしまったために、私はアニメーションという世界で正式に仕事をするきっかけを失ってしまったことがあったのですが、I氏は九州大学出身で大変意欲のある芸術家肌の人で、大変温厚な方でしたが、その後「天才バカボン」で正式に彼と仕事をするようになったりして縁が生まれました。前にもお話したことがあったこともあったと思いますが、スポンサーのO製薬会社の女性の宣伝担当と脚本家の感性の違いから、異色の脚本家が繰りだすプロットを次々とボツにされてしまうということがあり、彼の文芸の部屋には脚本家たちのボツグラフを貼り出して鬱憤晴らしをしているというひょうきんなところもあった人でした。実はI氏のハイブロウなブラックコメデイを作ろうという気持もあって、次々とボツになるプロットを嫌がらずに楽しんでいたのかもしれません。アメリカでのアニメーションづくりに夢中になって、次々と資本を投入して行ってしまう社長に愛想尽かしをししまったのでしょうか、暫くして彼は静かにムービーから去ってしまったのでした。

 会社のために必死で尽くしてくれているのだというのに、そんな現実にはまったく触れずに、彼にとってはアメリカで作っている「ニモ」の芸術性の高い作品と比べたら、大衆の楽しみとなる作品を作っている私たちの作業については、まったく評価にもなかったのでしょう。しかし暫くしてアメリカから久しぶりに帰ってきた社長は、何を思ったのか、私に対してアメリカで放送するゴッドマーズの脚本を書いてくれというのです。日本での人気ぶりがアメリカにも伝わったのでしょうか。実はABCテレビ(?)の社長の子息が、ゴットマーズの六神合体をするロボットに夢中になっているということから、アメリカでもその映像を放送したいということになったようです。

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社長は日本へ戻ると直ぐに、その監督に出崎統氏を指名してテスト作品を制作さることになりました。如何にも社長好みの選択です。業界で密かに囁かれている噂はまったく聞こえていないようです。「あしたのジョー」で頭角を表して登場した出崎氏はなぜか「エースを狙え!」の映画とか大きな作品では評価を得るのですが、所謂テレビのシリーズ作品ではほとんどヒットしないということで、あまり評価はよくなかったのです。あまり高度なものを狙いすぎるので、一般のファンには興味が湧かなかったのでしょう。視聴者の求めるものとは遊離してしまったからだと思います。しかし「ゴットマーズ」の日本でのテレビ放送の人気ぶりを聞かされながら、これまで馬鹿にしたような薄笑いを浮かべて頼んできた社長が、結果的に私たちが必死で制作しているゴットマーズにおんぶせざるを得なくなってきたのです。

 

 私は内心彼の思い上がりに一撃くらわしてやったというくらいの、快哉を叫びながらアメリカ用のゴットマーズを書きました。しかしアメリカの場合は幼児番組を制作する場合にはかなり厳しい制約があって、日本のようにかなり自由な表現はできません。社長好みの出崎氏は、ファンを熱狂させるテレビ作品として仕立て上げることができるのだろうかと、私は大変興味深く見守っていました。

 

 暫くしてそのラッシュが出来てみることができましたが、兎に角予想通りの結果で、どこが面白い作品なのかといいたくなってしまうような、日本ではここが見せ場と思う場面でも、一切そういった刺激的な場面は避けなくてはなりません。破壊はいけない、血は流してはならないという状況で、これではかつて「マジンガーZ」の力感の表現を避けて破壊を遠ざけて破壊するものが存在しない富士山麓にしてしまった、「グレートマジンガー」と同じで、ロボットアクションとは言いながら、まったく刺激のない表現ばかりでがっかりしてしまいました。ロボットが活躍して気分がすっきりとするシーンなど、まったくありません。恐らく出崎氏も腕の振るいようがなかったでしょう。社長はそれを持ってアメリカへ戻って行きましたが、当然ですがまったく期待した返事はありませんでした。お陰様で私は日本での作品作りに集中することができました。その間にもゴットマーズの人気はますます上昇状態にあって、雑誌アニメージュが毎年行う人気投票において期待通りの結果が出てきました。

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 作品部門でも第一位、キャラクター部門でもマーズが第一位という結果で、その人気が如何に圧倒的になっていたかを証明してくれたものです。

 

 お陰様で1981年10月2日から始まった番組は、ギシン星編、マルメロ星編、地球編と辿って修了することになりましたが、社長はその間にもアメリカへ飛んで「ニモ」の制作に夢中でとりくんでいました。その間に次第に投入する資金は膨大膨らみ、1991年に50億という莫大な借財を作ってしまって、翌年に東京ムービーの経営をセガというゲーム会社へ託すことになってしまったのでした。1988年5月1日に横山光輝・藤川桂介共同原作による「十七歳の伝説」が映画として上映されたのを最後にして、現在のTMSが誕生することになってしまったのです。会社の建て直しを計ってやってきたはずであった豊岡氏は、結局自分の趣味に走って、「ニモ」の制作に50億もの膨大な資金を投入して失敗してしまうという結末に至ってしまったのでした。ゴットマーズの大成功も東京ムービーの救済にはならなかったようです。どうやらゴッドマーズは、東京ムービー末期に咲いたあだ花だったのかもしれませんね。それから数年後に彼は鬼籍に入ってしまったのでした。今はご冥福をお祈りするばかりです。

 

 

 

 

 

   

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アニメと音楽の部屋☆ ア46「キングレコードヒット作詞賞」 [テレビ]

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 再びゴットマーズのお話です。

 ゴッドマーズは1981年10月2日から始まって1982年1224日に、「ギシン星編」「マルメロ星編」「地球編」と3クール78話で修了しましたが、ファンの番組に寄せる思いはそれで終わる状態にはなりませんでした。

 ファンの思いに応えたいという動きがTMC(旧東京ムービー)から話があって、私はゴットマーズの基本的な設定を使って「十七歳の伝説」という本を執筆しました。しかし今回はゴットマーズではあるけれども私が想像したマーグというキャラクターの十七歳の伝説だということで、横山先生は共同原作でというということで印税も両者で平等に受け取るということになったのでした。

制作会社としてはそれを基にして、直ちに映画化の準備にかかり、1988年5月1日に東宝東和で公開されたのですが、その映画で活躍したのがマーズでした。

 既に彼はテレビ放送で霊体となってしまっていましたから、映画化は彼に対する鎮魂というものでした。当然ですがその主題歌「17歳の伝節」「ララバイマーズ」の二曲は私が作詞しました。お陰様でそのレコードが、その年のヒット作品となり、私はその作詞賞を受賞することになりましたが、この時のタイトル表記は正式な表記とは違って17歳となっています。

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17歳の伝説」(歌三ツ矢雄二)

宇宙の荒野をひた走る

君は蒼き狼か

茨の道も暗闇も

信じる道ならそれでいい

ガーン・アウトつかの間の青春だから

生きた愛した戦った

銀河宇宙へ捧げた命

今こそ君にたくしたい

17歳の伝説を

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「ララバイ・マーズ」

淋しかったらここへこないか

時には恋人のように抱きしめて

冷えた心を抱きしめてあげる

ララバイ マーズ

ララバイ マーズ

鳴くだけ泣いてねむればいいさ

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「ギシン星編」で悲劇的な死を迎えたマーグは、次の「マルメロ星編」で、バラの騎士として登場して弟のマーズを援護して活躍しましたが、演じたのは声優の三ツ矢雄二さんでした。きっと聴いている方々は、映像の中のマーグと重ねていらっしゃったのでしょう。よくマーグの雰囲気を出して下さいました。しかしここでもう一人どうしても紹介しておきたかったのが、マーグの弟として、地球で生きているマーズを演じて下さった声優の水島祐さんです。彼は別のレコードに収められているのですが、テレビの劇中の挿入歌として歌われているのを聞いていると、兄のマーグを追い求めていく心情がよく伝わってきます。

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「銀河に一人」(歌水島祐)

銀河の海を 乗り越えてこい

誰かが俺に よびかけている

血を分け 心を分けた人のように

なぜか恋しい なつかしい声だ

流れ星よ 教えてくれ

俺を掻き立てるのは

どこの星の人か

故郷の星を 遠く離れて生きる俺

故郷の星に 思い出もない俺

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 この歌は放送の第11話の「謎の声は誰だ?!」の中で謎の声を追っていく中で流れています。機会があったら、映像を流しながら是非聞いてみて下さい。

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 アフレコ台本にはこのような形でアレンジされています。

  若草恵さんの音楽も大変美しく、ドラマを盛り上げるのに大変効果がありましたね。

 「ゴットマーズ」は兎に角さまざまな思い出を残してくれた作品でした。

 今年最後の更新の予定になる日曜日です。これまでお話できなかった制作余話をお伝えできると思います。


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告知と放談の部屋☆ 放66「十七歳の伝説秘話」 [テレビ]

 

 「ゴットマーズ」の大きなうねりはマーグの葬儀後も更につづいていましたが、第三部である「地球編」で1982年に終了しました。それまでほとんど空いた時間の取れなかった私は、この頃からマーグを主人公とした物語を書こうと思いました。しかしその「十七歳の伝説」というタイトルについては、私の青春時代の思い出と深いつながりがあったのです。それについてはこれまでまったく公にする機会がありませんでしたので、今回「ゴッドマーズ」のマーグの数奇な青春を書いた作品の「十七歳の伝説」というタイトルの原稿を発見しましたので、思い切ってそのタイトル誕生の真相についてお話しておこうと思いました。

かつて若い時に小学館で、青春物を書こうと思って準備していたことがあったのですが、そのタイトルが「十七歳の伝説」としてあったのです。

すでにイラストも河合某氏に依頼して準備稿も出来上がっていたのですが、それから間もなく編集部に変化があって、その企画は中止ということになってしまっていたのです。私にとってはなぜかその十七歳という、大人でもなく幼くもない二十歳になる前の微妙に揺れる世代の、青春時代が書いてみたかったのです。この話はこれまでまったく公にしては来なかった話だったのですが、前述しましたように保存の原稿を整理している間に、「ゴットマーズ」の「十七歳の伝説」の生原稿がすべて出てきましたので、思い切ってその原点となるはずであった、小学館作品に準備されていたイラストを紹介しておこうと思って書くことにいたしました。私にとって大人として認められる二十歳になる前の、あの年頃の揺れる思いが今でも忘れられませんでした。いつかそんな微妙な十七歳を描きたいと思いつづけていたのです。テレビ化の準備も進んでいたのですが、残念ながら日の目を見る機会がないままになったまま、長いこと書庫に資料として眠っていました。これがその時のテレビ映画の企画書と雑誌連載用の主人公のイラストでした。

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 申し訳ないのですが、このイラストが気に入っていて、今でも保存しているのですが、「河合さん」のその後が判らなくなっています。どうしていらっしゃるでしょうか。私にとってはどうしても忘れ難い青春時代の思い出なのです。

 ここで「ゴットマーズ」の話に戻ります。放送が終わってひといきついた時に、何か書き忘れていることはないかと思いめぐらしているうちに、あの悲劇の死を遂げたマーグという若者のことでした。いったい彼にはどんな青春時代があったのだろうか。そんなことを考えているうちに、ふと思い出したのがかつて使おうとしてそのままになってしまっていた少年から成人として認められる二十歳を前にした、複雑に揺れていく十七歳という年齢の熾烈な青春物語を、ゴットマーズのサブストーリーとしてマーグに託して書き残しておこうと考えたわけです。

心に残りつづけた微妙に揺れる二十歳間もない十七歳という年齢のマーグの青春物語が、アクション映画として成功したかどうかは別として、私の青春物語はようやくこの時をもって完結することができたのでした。

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 おかげさまでこの小説が徳間書店の「アニメージュ文庫」として出版され、間もなくました。映画の準備が進み始めたある日のことでした。東京ムービーから連絡がきて、今回の話はゴットマーズではあるけれども、藤川が創作したマーグというキャラクターの話なので、共同原作にしたいという横山光輝先生の好意で印税も半分ずつということになりました。横山先生はこれまでの私の働きについて評価をして下さったのでしょう。大変嬉しく、誇らしくも思ったものです。そしてやがて映画化の作業は順調に進んでいったのでした。

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台本とアフレコ台本は、書庫の整理をしていたお陰で見つけることができました。それに伴ってアニメージュのアピールや、映画のパンフレットも見つかりましたので紹介いたします。

 マーグの青春時代は、これまでテレビ放送で見てきたものとは違った姿だったかもしれませんが、みなああした思いがけない人生経験をしながら、成長していくものだということを受け取って頂ければ嬉しく思います。勿論放送でのマーグの姿でなかったことに失望した方もいらっしゃったかもしれませんが、それに対しての弁解が今日になってしまいましたね。すべては冒頭でお話した「二十歳の伝説」からヒントを利用して、「十七才の伝説といたしました。長い長い年月をへての告白になってしまいました。しかしお陰様で、映画を機会に「十七歳の伝説」は角川書店からも発売されることになりました。

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台本も、アフレコ台本も資料の整理をしていた結果、思いがけないことで発見できたのは幸いでした。

 東京ムービー文芸部にいらっしゃった、話題のIさんに調べて貰ったところ、現在もそれらのGM台本のテレビシリーズ・劇場版・OVA十七歳の伝説すべての資料は、会社に保存さているという連絡を下さいました。

ゴットマーズは確実に残りつづけています。きっとみなさんの心の奥にも熱い思いと共に残りつづけていると、確信しながらお話が締めくくれます。


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告知と放談の部屋☆ 放65「マーグの葬式はNTVホール」 [テレビ]

 

 「ゴッドマーズ」の「ギシン星編」は世界の平和を願いながら、悲劇的な死を遂げるマーグの運命の終焉を持って終了となりましたが、それが宇宙の新たな戦いの始まりになってしまいました。

ギシン星の皇帝ズールによって、地球の制覇を試みようとする野望の戦士として、弟のマーズ・・・地球名明神タケルとの戦いに送り込まれるのですが、彼と弟の間には宇宙に平和を取り戻そうという崇高な思いが買いあっているのだということを知った、マーグの副官ロゼは、いつかズール皇帝によって支持された戦いが間違っていると考え始めていたところであった。マーグはギシン星から送り込まれた刺客によって暗殺されるという悲劇を見てしまうことになってしまうのです。変身して新たな生きる道に目覚めたロゼは、タケルと共に宇宙を平和な世界にするための障害であるズール皇帝の打倒を実現するのだが、今は同志とも思うマーグはなく、故郷のマルメロ星へ還るのですが、何と安らぎを求めようとした故郷は、すでにギロントいう新たな暴君によって支配される星となっていたのでした。市民たちはその強権を振るう支配者に対抗して苦しい戦いを繰り広げているのを知ったロゼは、今は亡きマーグの志を受け継ぎながら、宇宙の平和を求めて戦うタケルとクラッシャー隊の同志の協力を得て、新たな戦いに立ち向かう決心をするのでした。いわゆるマルメロ星の始まりです。

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「ゴットマーズ」という番組はお陰様でファンの熱い思いに支えられて、延長ということになったのですが、まだ前シリーズのマーグの悲劇的な死の衝撃が心に焼き付いていて消え去らないことから、彼の死をこのまま脳裡から消し去ることはできないという思いが広がり、ついにその熱い思いを吸収した学研の「アニメデア」というアニメ誌が企画を立ち上げて、平和の戦士マーグの葬送をしようという呼びかけを行ったのでした。

その企画を訊いた時、正直言って私は、このところアニメーションファンの熱意の高まりが、さまざまなところで語られている状態であったこともあって、この一寸前に男性ファンを熱狂させた高森朝雄原作、ちばてつや作画というコンビで作られた「あしたのジョー」の漫画では、矢口ジョーのライバルである力石剛が死んだ時には、劇団天井桟敷を率いていた寺山修二氏たちの呼びかけでを忍んで、彼の冥福を祈って葬儀を行ったということが報道されたことがありましたが、それはあくまでも大人のファンの反社会的な世界に生きる姿に共鳴して、その思いを共有してようということで漫画の主人公を忍んだ企画であったように思いますが、そうした多少主義主張を秘めた集まりの企画とは違って、今回はそれの女性版というものになりそうで、かなり情緒的な企画であったように思います。しかしその結果どういうことになるのだろうかと、多少の興味もあたのですが、今回は学研という出版社の主催ということと、その会場に番組の放送をしている日本テレビも協力してくれるということになったということを知って、これはあまり迂闊に受け止めていてはいけないと思うようになりました。

当初はそんな大袈裟な催しではなく、ごくファンたちが集まりやすいところでの気楽な集会として行なわれるのだろうと思っていた私は、葬儀の会場がテレビ局のホールを使って行われると聞いてから、一寸気持ちが固くなってきていました。

(あのようなところで、みっともない結末にならないだろうか)

本気にはなれないどころか、逆に心配になってきていました。

悲劇的な死を遂げたとはいっても、マーグはあくまでもアニメーションという映像の中での登場人物に過ぎません。そのようなものの葬儀を行うなどということを、本当に受け止める人がいるのだろうか・・・。私は日増しに心配になってきていました。しかし雑誌社がイベントの予告をしたのですから、ファンがどのような反応を示すのかということには感心がありました。はじめはみなで大いに番組を楽しもうというものなのだろうと軽い気持ちで受け止めていたのですが、それはどうやら制作したものの冷めた受け止め方であってファンの高まる熱烈な思いを受け止めてはいなかったようです。

宇宙の平和を夢見ながら挫折することになってしまった、「戦士マーグの死」を弔いたいという思いは、葬儀の行なわれることになった麹町の日本テレビのホールへ着いた時、大きな衝撃として受け止めなくてはならなくなってしまったのでした。そこに結集していたのは、何と黒ずくめの・・・いわゆる喪服の女性たちの集団であったからでした。

葬儀とはいっても相手はアニメーションの登場人物に過ぎません。しかし祭壇の正面に飾られているのは、在りし日の戦士マーグの姿を描いた大きな額縁に入った絵でした。

予定通りに編集長から献花が始まり、静まり返ったホールの中で儀式は進行していきました。その最中のことです。何と日本テレビ社長が出社してこられたのです。

アニメデイアの編集長をはじめにして私、出演声優、制作スタッフ、ファンのみなさんがつづいて花を捧げて、マーグの霊の冥福を祈る姿がつづいていました。多分記録によると1981年6月から1989年5月まで社長をしていらっしゃった高木盛久氏ではなかったかと思いますが、その目の前に喪服の女性で埋まっていたのですから、その意外な風景に仰天されたことは間違いありません。

「これは何なんだ!?」とびっくりして秘書に言いながら慌ただしく社長室へ向かわれたと思われますが、きっと後から説明を聞かされて、どう思われたかは判りませんが、放送されている「ゴットマーズ」というアニメ―ションによる反響があのような反応として表現されることには、あきれながらも何か時代の変化を感じられたかもしれません。

 この時の様子は「あしたのジョー」の場合とは違った、女性ファンの熱い思いがあふれた姿が想像できるでしょう。男性の熱狂ぶりと女性の熱狂ぶりには、その温度差にかなりの差がありますが、それにしても「ゴットマーズ」ではアニメ―ションの映画制作を促す10万人の声を集めた運動といい、ファンの反応もかなり変わってきていたと思います。

昨今は当時のそれとは違った盛り上がり方をしていると思いますが、確かに社会的に日陰の存在であった時代から、ようやく社会的に認知されて、サブカルチャーとして浮上した頃の興奮ぶりを表した風景でした。もうこんな風景はほとんど見られないと思いますが、アニメーションが社会的に認知された初期の頃のファンの熱狂ぶりを象徴する出来事であったと思いますが、今の「鬼滅の刃」の大きなヒットで、家族ぐるみのファンはどんなうねりを生み出すのでしょうか。


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思い出作品の部屋☆ 思3「GM文庫爆発の前後」 [テレビ]

 

 「宇宙戦艦ヤマト」の放送が行なわれた頃から、テレビから受けた感動を噛みしめ合いということから、ファンの間にはテレビ作品や映画作品などの感動したストーリーを、もう一度噛みしめたいという空気があって、映像作品を活字作品にして読むノベライズというものが、盛んに書かれて出版されました。私はすでに朝日ソノラマで自分の原作である「さすらいの太陽」、松本零士原作の「銀河鉄道999」や武宮恵子原作の「地球へ」という作品をノベライズしてきていましたが、集英社文庫へ書いたのはアカデミー制作の「青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行」をノベライズして出版したのが始まりでした。しかしその時私は、二度と経験したくない大変な経験をしていたのです。

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 丁度この頃私は「宇宙戦艦ヤマトⅢ」の執筆拒否をした後ですが、さまざまな事情からハワイでの打ち合わせに参加しなくてはなりませんでしたので、帰国後気持ちが乗ってこないまま映画の脚本を書いたこともあって、結局その後決定稿を書くまでにもさまざまな不愉快な状態がつづきましたが、兎に角やっと作業をしおえました。それでヤマトから解放されてやっと安堵したのですが、この時の無理な状態で書きつづけていたためにでしょうか、心身ともにどん底の状態に落ち込んでしまっていたのです。暫く休みたいと思っていました。ところが「ヤマトⅢ」の作業にかかる前から、集英社から依頼があった「青い鳥」のノベライズの出版の予定が迫って来ていたのです。私は体調の良くないのでと編集長I氏に訴えてのですが、すでにさまざまなセクションの手配がすんでいるので、出版の予定は変えられないというのです。是非書いて欲しいと訴えられてしまいました。もう大分前から出版社はすでにその準備に入ってしまっていたのです。出版の延期はできない情勢でした。しかし私は「ヤマトⅢ」で無理な作業をやりつづけたために、どうも胃がしくしくと痛むようになってしまっていたので、親友が病院長をしていた調布の病院まで行って診て貰ったところ、結果は胃潰瘍ということになってしまったのです。しかし治療に世田谷から通うのは無理だという配慮で、診断書を書いてくれたので、自宅近くの町医者へ行って、羊腸から作った治療薬を20本の予定で注射して貰うことになったのです。出版社にも迷惑を掛けられないという使命感から、何とか胃の痛みを堪えながら原稿を執筆しつづけたのです。しかし何とか200枚までは書き上げたのですが、残りの100枚というところまできたところで、頑張り屋の私でも流石に胃の激痛のために我慢できなくなっていました。お腹を押さえているのが精いっぱいで、原稿を書くどころの騒ぎではなくなっていました。私は編集長に出版の延期を申し出ました。ところが編集長の返答はシビアーなものでした。

 「苦しいでしょうが、何とか書いて下さい。出来れば編集を送り込みますから・・・」

 編集を手助けに派遣してくれるというのですが、それでどうしようというのでしょう。私は激痛に耐えながらついに約束を果たして書き上げたのでした。

 「青い鳥」は兎に角それで発売にこぎつけましたが、結果はそれほど大騒ぎをするようなこともありませんでしたので、ゴットマーズについてもいくらテレビで人気があるとはいっても、それほどのことはないだろうとでも考えたのでしょう。兎に角多変慎重な会社ですから、決して無理をしない社風でしたから、これまでとは一寸部数に配慮をしただけでしたし、冊数も三冊あるのですから目茶出しはいたしません。これまで通りの決まった初版数で発売したのです。

丁度この頃私は「宇宙戦艦ヤマトⅢ」の執筆拒否をした後ですが、さまざまな事情からハワイでの打ち合わせに参加しなくてはなりませんでしたので、帰国後気持ちが乗ってこないまま映画の脚本を書いたこともあって、結局その後決定稿を書くまでにもさまざまな不愉快な状態がつづきましたが、兎に角やっと作業をしおえました。それでヤマトから解放されてやっと安堵したのですが、この時の無理な状態で書きつづけていたためにでしょうか、心身ともにどん底の状態に落ち込んでしまっていたのです。暫く休みたいと思っていました。ところが「ヤマトⅢ」の作業にかかる前から、集英社から依頼があった「青い鳥」のノベライズの出版の予定が迫って来ていたのです。私は体調の良くないのでと編集長I氏に訴えてのですが、すでにさまざまなセクションの手配がすんでいるので、出版の予定は変えられないというのです。是非書いて欲しいと訴えられてしまいました。もう大分前から出版社はすでにその準備に入ってしまっていたのです。出版の延期はできない情勢でした。しかし私は「ヤマトⅢ」で無理な作業をやりつづけたために、どうも胃がしくしくと痛むようになってしまっていたので、親友が病院長をしていた調布の病院まで行って診て貰ったところ、結果は胃潰瘍ということになってしまったのです。しかし治療に世田谷から通うのは無理だという配慮で、診断書を書いてくれたので、自宅近くの町医者へ行って、羊腸から作った治療薬を20本の予定で注射して貰うことになったのです。出版社にも迷惑を掛けられないという使命感から、何とか胃の痛みを堪えながら原稿を執筆しつづけたのです。しかし何とか200枚までは書き上げたのですが、残りの100枚というところまできたところで、頑張り屋の私でも流石に胃の激痛のために我慢できなくなっていました。お腹を押さえているのが精いっぱいで、原稿を書くどころの騒ぎではなくなっていました。私は編集長に出版の延期を申し出ました。ところが編集長の返答はシビアーなものでした。

 「苦しいでしょうが、何とか書いて下さい。出来れば編集を送り込みますから・・・」

 編集を手助けに派遣してくれるというのですが、それでどうしようというのでしょう。私は激痛に耐えながらついに約束を果たして書き上げたのでした。

 「青い鳥」は兎に角それで発売にこぎつけましたが、結果はそれほど大騒ぎをするようなこともありませんでしたので、ゴットマーズについてもいくらテレビで人気があるとはいっても、それほどのことはないだろうとでも考えたのでしょう。兎に角多変慎重な会社ですから、決して無理をしない社風でしたから、これまでとは一寸部数に配慮をしただけでしたし、冊数も三冊あるのですから目茶出しはいたしません。これまで通りの決まった初版数で発売したのです。

                       「ゴッドマーズ1・集英社文庫」1.jpg 「ゴッドマーズ2・集英社文庫」1.jpg 「ゴッドマーズ3・集英社文庫」1.jpg

 

ところがそれから間もなくのこと、編集長から慌てた雰囲気で電話がかかってきたのです。GMのノベライズ本は発売と同時に三冊ともに数日間で売り切れになってしまって、書店という書店から姿を消してしままったのです。しかも買えなかったファンからは、どうして本が買えないと次々苦情の電話がかかるようになり、編集部も収拾がつかない状態になってしまいました。

  「大変な勢いで出したばかりなのに、もう全巻売り切れて仕舞いました。まだ注文がつづいているのですが急には間に合いません。一週間ほど書店に本がなくなってしまって申し訳ありません」

 緊張してはいるのですが、どうしても嬉しさがこみ上げるようで、「有難うございました」上気した声で挨拶をすると談話を切るのでした。

ゴットマーズはかなり反響があるということは私からも知らせてはありましたが、恐らくらく集英社では当っているといっても、このくらいであろうという計算をして出版したのでしょう。テレビに就いてはほとんど情報を掴んではいない情況でしたら、実際に出版してからの反応は、これまでのノベライズ作品とはあまりにも他の作品とは違っていましたので、狼狽することになってしまいました。編集長も副編長もまったく想像を越えた結果に直面して、ただただ愕然とするばかりでした。今は兎に角本を早く書店へ送り込まなくてはなりませんが、間に合わないというのです。何をどうすればいいのか判らずに大混乱状態でしたが、兎に角どの書店でも全巻売り切れです。これまでそんな異常事態は経験したことがありません。その後編集部に呼ばれて出かけたことがあったのですが、編集長のI氏も副編集長のA氏もあの時の混乱状態を話題にして笑い話になってしまいました。兎に角出版から数日ですべて売り切れてしまって、その補助ができるまでには一週間はかかるという状態だったのです。現場の指揮官の計算違いでかなりショックを受けてしまいましたが、会社としては予想外の収益を得たに違いありません。終始笑顔でありました。時代は映像で受けた感動を、活字の世界で噛みしめて楽しもうということが、若い人の流行になっていた時代です。番組の評判が活字の世界でも大きな影響をもたらしたようでした。しかもそれをレコードでも楽しもうとしていたのです。これまでとは違った流れが時代に流れ始めてきたように思えるのでした。


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言霊謎解きの部屋☆ 言25「ひとくち言霊」(祈る)   [テレビ]

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日常的に神社仏閣へ行った時、手を合わせることが多いと思うのですが、しかし常識的に、神に祈る場合と仏に祈る場合ではちょっとその作法は違うのですが、ご存知でしょうか。大体、手をパンパンと叩いて祈る神社と、静かに両手を合わせて祈る寺院という違いぐらいは、ほとんどの人が知っていると思うのですが、もうちょっと詳しくその違いを知っておく必要があるようです。

これは古代に題材を求めて小説を書いているうちに知ったことなのですが、わたしたちの知らない、いえ、如何なる先人たちも知り得なかった、死後の世界に君臨しているのが仏さまですから、やがて天上界へ行く時が来ましたら、よろしくお願いいたしますということで、仏様にはお願いをするのですが、神様に対する祈りは、いささか違うようです。いえ、本当はこれまで常識的に行われてきた祈り方では、通用しないようなのです。通常、神社へ参拝するというと、年の始まりの初詣が圧倒的ですが、その時も、仏さまへの祈りと同じように、幸運を下さいとか、家内安全をよろしくとか良縁に恵まれますように等々、願い事のすべてを神様に託す人が圧倒的なのですが、あのようなお願いなどとやっているようでは、とても神様は聞き入れてくれないようです。

神前結婚式に列席された方は経験していらっしゃると思うのですが、必ず新郎新婦は神前で誓詞というものを読みます。今後わたしたちはこのようにして生活していきますと、誓いを立てるわけです。つまり神様に祈る場合は誓わなくてはいけないということなのです。それなのに初詣の時、ほとんどの方は、今年の幸運をお願い、お願いとやっています。しかしここが問題なのです。そんな弱々しいことを言っているようでは、神様はまったく受け付けてくれないでしょう。その年一年を、どう生きようとしているのかを、気迫を籠めて誓わなくては、その意気込みに応えようということにはならないはずなのです。果たして神社へ押しかける参拝者たちは、こうした神様に対する接し方を、どのくらい知っていらっしゃるでしょうかかなり疑問です。

本来神様は、活力のある、生きている現世の者を束ね、活力を失った死者の来世は、仏が束ねるという考え方をしているのですから、勢いを尊重する神様に対して、「お願い」などと弱々しいことをいって祈っても、受け付けるはずはないはずです。

<p>古代の人は、みな自分が信仰する神様を持っていましたから、何か重大なこと、一大決心をして事を行う時には、その信仰する神様のところへ行って、「イ罵(の)る」のだそうです。「祈る」ではなく、「イ罵(の)る」のです。

調べたところ、現代でもよく使われる、「大事に取り組む」などという時に使われる「命をかけて」「命を賭して」などという時の、「命」ですが、古代では「イ」の「チ」と分けて受け止めて表現していました。「イ」というのは「生命」ということです。「チ」というのは、「オロチ」とか「オロチ」のように、力を表す言葉であったので、「イ」の「チ」というのは、「生命」の「力」があるということですから、「生命力」ということになります。つまり「イ罵る」ということは、生命をかけて罵るということなのです。そんな訳ですから、通常神を罵るなどということはとても恐ろしいことで、滅多なことでは出来るわけではありません。しかし一大決心をして行わなくてはならない、宿敵を討つ時などは、思い切り激しい言葉で神を罵って、助力を引き出そうとしたわけです。

「もしこのわたしの決心に力を貸してくれないようであったら、そんな無力なあなたを、今後二度と信仰することはないだろう」

こんな風に罵ったようです。すると挑まれた神様は、絶対的な力を持った者に挑戦したら、命を失うかも知れないという、極めて恐ろしい、危険も顧みずに、敢えて挑んできた強い意志に対して、

「よーし。よくも命を失うことも恐れずに、よくもわたしを罵ってきたな。わたしの威力を思い知れ」

ということで、その力を発揮して祈願する者に力を与えるというのでした。

神に祈るといことは、現代の初詣、日常の参拝で行うような、のんびりしたものではなく、「祈る」ということは命がけの行為だったようです。

                                                                                                             

 

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アニメと音楽の部屋☆ ア45「1000年女王書いてしまう」 [テレビ]

 

 ゴットマーズの話を進めているうちに、同時に進んでいた「1000年女王」がどうなっているのかという話を書く機会がすっかりずれてきてしまいました。1981年も半ばを過ぎようとしている頃のこと、「ゴットマーズ」は秋から番組が始まるというので、脚本を書く態勢に入っていたのですが、私と東映動画の横山プロデユウサーは「1000年女王」の映画化についての打ち合わせを重ねながら脚本に入る準備をしていたのです。ところが原作者である松本零士氏から提出されるはずの映画のための原案が出てこないので、そろそろ制作にかかる時間的な余裕が次第に切羽詰まってきていました。そんな7月のある日のことです。

                                             「1000年女王打ち合わせ・松本氏と」1.jpg 「1000年女王・執筆か」1.jpg

 

 東映プロデュウサー横山賢二氏から、大泉の金栄閣という旅館へ入って欲しいという連絡が入りました。暫く前のことですが私と横山氏と松本邸へ行って、かなり内容に関しては打ち合わせをしてきているので、そろそろ旅館へ籠って脚本を執筆することになるのだなと決心して出かけました。ところが実際はまだそんな状態には至っていないようで、ようやく映画の原案が届くというので、それを待って脚本執筆にかかって貰いたいという話でした。その頃松本氏は直ぐに書きますというのが口癖なのですが、その通りになることがほとんどありません。しかし今回は多少のずれはあってもそれほどひどい遅れはないだろうという心づもりでいたのですが、それから何日待っても松本氏からは連絡がありません。私と横山氏はあらかじめ話の運びについての打ち合わせをして、正式な原案が届いたら直ちに脚本を書き出す準備をしていたのですが、結局何も手に付けることができないまま一週間も経過してしまったのです。私も「ゴットマーズ」の脚本も書かなくてはならないという事情がありましたので、もう原案が届くのを待っているわけにはいきません。しかし松本氏の仕事の過密ぶりは想像を越えるものになっているようなので、横山氏も制作の責任者として決心を固めたようです。先日松本邸へ伺った時も、サンケイ新聞連載の「新竹取物語1000年女王」の翌日の原稿ができずにひっ迫していました。連載となると毎日が締め切り状態になるのですが、それさえも間に合わなくなりそうなのです。担当の新聞社員は翌日の掲載原稿を受け取るために松本家の一室に泊まり込みでいました。そうした実情を目撃しながら松本氏と映画の打ち合わせをするのですが、その間にテレビの「1000年女王」の打ち合わせもしなくてはならないという状態でしたので、映画の作業はなかなか困難を極めることになると覚悟を決めていたのですが、それにしても1982年3月の封切り公開が目標で制作するには、兎に角制作のために半年は必要になるのです。それを逆算するともう脚本は上がっていなくてはならないのです。もう原案ができるのを待ち構えていることはできません。

私も秋から始まる「六神合体ゴットマーズ」の脚本を書きつづけなくてはなりませんでしたから、「1000年女王」の映画化という仕事も多忙な中での作業になってしまします。来年の三月という封切り予定日から逆算しても、映画の制作するために費やす時間を考えるとそうゆとりがあるわけではありません。

ついに横山氏は決断しました。

大分前に大雑把な構想については聞いていましたので、それで脚本を書いてしまいましょうということになり、大雑把に話の進行についての協議をしたところで、私はようやく実作業に入るために旅館を引き上げて、自宅へ帰ることになったのでした。取り敢えず原稿は書いてしまって、改めて松本氏から原案が届けられたら、それを取り込みながら決定稿にしていこうということになったのでした。

                            「1000年女王・準備稿」1.jpg 「1000年女王・決定稿」1.jpg 「1000年女王・映画」1.jpg

 

かねてから予期していた困った自体が私に降りかかってきてしまいましたが、文句を言うこともできません。すべては人気絶頂にある松本零士氏の勢いに乗って企画されているのですから、何とか困難は工夫して乗り越えて作業だけは進めなくてはなりません。それから数日してから、やっと松本氏から原案がとどきましたので、それを書きかけている原稿に取り込んで修正しながら決定稿を仕上げていったのでした。超売れっ子の原作者の作品を活かしながら仕事をするということは、実に大変なことであるということを実体験することになったのでした。

ところで・・・余談ではありますが、私が時々ブログのお知らせに使っている人形の写真ですが、あれはいつ頃作られたのかと気になって調べてみたのですが、娘が中学生になったばかりの頃、必死で原稿を書く私をイメージにした作った人形であることが判りました。

                                             「素材・原稿執筆中」1.jpg

 

人形の左右に置いてある原稿らしいものを改めて見てみたところ、右側の「企画書」と書かれたものの二枚目には「1000年女王」と書いてありましたし、左側に置かれているものには「1000年女王原稿」と書いてありました。あの頃私は布団に寝ることもせずに必死で作業をしていましたので、流石にそれを見ていた娘が何かを感じてプレゼントしてくれたのでしょう。

実はこの頃から「ゴッドマーズ」に企画の話も持ち込まれていたので、私も大変な多忙に見舞われていたのです。子供はそんな父親の姿を見ていたのかもしれません。「1000年女王」時代のすさまじい作業に取り込んでいたのは、松本氏だけではなかったことを、今更ながら思い出してしまったのでした。「ゴットマーズ」は大変人気を得て放送中でしたが、何とか「1000年女王」の映画にも支障をきたさないで、劇場公開に間に合ったのでした。

わたしにとっても大変な修羅場をくぐり抜けた日月でしたが、お陰様で「ゴットマーズ」も順調で、もうマルメロ星編へ入っていたのでした。


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