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告知と放談の部屋☆ 告11 「更新日変更の件」 [趣味・カルチャー]

                                                       「素材・原稿執筆中」1.jpg

  

来週の日曜日(20日)の更新は、都合により日曜日でなく土曜日(19日)に更新いたします。


 急な変更で失礼します。


 


 


                             藤川桂介


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告知と放談の部屋☆ 放90「体験ツアーで思ったこと」 [趣味・カルチャー]

  

はじめて体験ツアーが行なわれたのは、どんな時代であったかを考えてみたいと思います。1985年8月ということですから、もう一度36前を思い出してみませんか。恐らく現在50代から60代あたりの年齢にかかっていらっしゃる方々は、まだかなり記憶に新しいかもしれません。かつて時代の背景について書いたことがあったはずなのですが、兎に角時代自体が変わろうとして苦悶している中でしたので、大変落ち着かない激動している時代でした。恐らくブログをご覧のみなさんも、そんな時に青春時代を過ごしていらっしゃった方が多いのではないでしょうか。


当時は中曽根康弘総理大臣の統治が始まって三年目という頃で、世相は世界的な石油ショクという影響で、そのためにまったく落ち着かない、行き先の見えない混乱という状況にあった時代です。何もかもが新しい生き方を探って必死の時代でしたから、思いもかけない人間像を持った者が跳び出してきたりします。特に今回は若い人たちの集まったツアーの話ですから、当時の若者たちの中から現われてきて世間を騒がせた塊についてお話しますが、この頃話題になっていたのは、若者たちの群がり現象というものです。しかし当然ですが、そういった群れには加わらない・・・いや。加われない真面目で地味な性格の持ち主で、真面目に自分の向かうべき方向を探そうと努力する者たちもいたのですが、そういう人たちをあの群がり族たちは、「ネグラ」といって無視していました。自称新しがり屋で如何にも時代の先端をいっているのだと誇示したがる派手な者が多かったし、気に入らなければ学校でも家庭でも暴力をふるうという傍若無人という若者が激増していたのです。新時代の到来でパソコンが使われはじめると、そうしたものを得意になって新しがる若者が出て来たかと思うと、時代の急激な変化に対応できないでいる者も多くなるのですが、そんな若者たちを「ネアカ」とか「ネグラ」といって差別し合うようなことが起ったり、小中学では校内暴力やイジメが問題になったり、家庭内暴力を振るう者が現われたりする新人類が跋扈する話題ばかりの時代でしたので、その日ツアーで出会った若者たちは、一体どういう範疇に入る人たちなのであろうかと注意して見ていましたが、今回体験ツアーに集まった若者たちは、どう考えてもそれらの人たちとはひと味違っているように思えてなりませんでした。


目下話題になるような荒れる若者たちとはまったく縁のない、気持ちのいい仲間たちといったような集団です。どちらかというと時代の風潮には馴染みようもない若者に見えました。恐らく現在ブログをご覧いただいているみなさんには、そんな時代の混乱期に青春時代を過ごしてきたか、青春時代前期にあった方々であったかもしれません。


 私はそんな時代の若い人たちに向けて、「宇宙皇子」という運命的な誕生をして差別される若者が、そういう理由にならないものと戦いながら虐げられているものが安らかに暮らせる時代を求めて活躍する大河ロマンを考えましたが、その背景にはそんな時代を背負った運命の子だったのです。彼はたまたま起こった壬申の乱の最中に、神と農民の女性との間に生まれるのですが、彼が父と思う人は戦に駆り出されて戦ううちに、悲劇的な死を遂げてしまうのです。謎めいた運命の子の頭からは、なぜか頭髪の中から小さな角が現われていた。そのために「鬼」と言われて差別さる青春時代を生きることになるのです。


出版が始まると同時に思いがけない方から電話を頂きました。身障者の子が通う学校の先生からでした。生徒の中から、私と会いたいといっている者がいるというので、集会があったら行かせてやりたいというものでした。勿論私は講演会に招待して上げて、「宇宙皇子」の誕生秘話についての話をいたしましたが、彼は宇宙皇子が「鬼」と言って差別されるのに負けずに、そういった差別と戦う姿に共感するようになったということを知りました。養護学校の少年は、たまたま身障者として生まれてしまった運命の子です。それに対して現代のような理解が行き届かない時代です。さまざまな差別の中で青春時代を過ごさなくてはなりませんでした。何の配慮もない新人類に対して、彼らに代って立ち向かってくれるヒーローとして、宇宙皇子という存在を発見したのでしょう。彼には決して負けるなと励ましたことがありました。


私は「宇宙皇子追体験ツアー」というものを企画して、はじめて実際にその読者となった人たち・・・時代の影響を受けて暮らしている少年少女の実像を知ることになりました。彼らの現在を生きる若者としての姿を、夜のお楽しみの時間になって知りました。彼らを取り巻いている時代背景や、その影響を受けながら送っている青春時代の日常を受け止めることになったのです。大変素直で明るい若者たちは、七夕祭りの飾りつけを行い、ショートコントを演ずる様子を見ていると、出会った時の印象とはまるで違った姿を見るような気がしました。彼らはそれまで派手なパフォーマンスなど、とてもするようなことの出来ない者たちだと思っていたのですが、実際はそういった想像をまったく覆してしまう姿でした。「宇宙皇子」というヒーローを仲立ちにして集まった、同志たちと結集できたという安心感が生まれていたのでしょうか、とても大胆な自己表現をして楽しんでいたように思えました。


あの数日間の若者たちを見たり、接したりするうちに、彼らは今の置かれている状況に反発できずにいる、いわゆる群がれないでいる地味な性格の若者たちの姿を見たように思ったのです。彼らが普段発揮できないであろう派手なパフォーマンスが、この同じ仲間たちの中だけでは、思い切り発揮できたのではないでしょうか。お互いに宇宙皇子という差別と闘う若者と同じ思いに共感しあう、同志として開放的な気持ちを味わっていたに違いありません。「宇宙皇子」シリーズの勢いが出版する度に、ますますその勢いを増して行ったその背景には、彼らの共感を得た時代感覚を描き出したことになっているのではないかと思いました。熱烈な読者たちは、同じ時代の背景を持った同志として窮屈な環境にあった者たちであったのかも知れません。彼らがあのように開放的で何も遠慮をすることもない自己表現をして楽しむ姿を見ているうちに、閉塞状態にある環境から思いきり解放してあげたいという気持になりました。そんなことから私は、若者に自信を持って生きなさいといって激励するための呼びかけを書いてみようと思い始めたのです。


                                  「ぼくの青春論」1.jpg 「文庫・君が輝いて見えるとき」1.jpg


丁度その頃PHP出版からの依頼があったので、1990年10月には「僕の青春論」・・・という本を出版して頂きましたが、それから暫くして、もう一寸沢山の人に読んで貰おうという意図があって、同じ出版社から1993年5月に「君が輝いて見えるとき」とタイトルを変えて出版して下さいました。余談になりますが、この本の最期の「あとがき」に、私のいくつかの謎について面白く書いてくれたのは、最後の弟子としてすでに作家となっていた若き森川潤君でしたが、彼は現在教育者としても活躍していることをつけ足しておきます。


 いつの時代でもそうですが、新しい時代に直ぐに飛びついていける人、それらしく生きていける人がいると思うと、なかなか器用には生きられない人がいるものです。問題なのは、自分とは違った生き方をする人に対する思いを、「差別」という形で表現してしまうことがあることに気をつけなくてはならないでしょう。それぞれ違った生き方をしながら、それぞれの目標に向かって進んでいくのが人生です。何もかもうまくいくこともあり、うまくいかないままになってしまうこともあります。しかしそれはあなた自身が選んだ選択であったのかも知れません。兎に角そのどちらの道を与えられたとしても、それに負けないことです。あの頃の二冊については出来れば読んで頂きたいと思うのですが、かなり時間を経過しているので、もう手に入らないかも知れませんね。


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思い出作品の部屋☆ 思11「宇宙皇子体験ツアー始まる」 [趣味・カルチャー]

  

当時テレビでは、番組の支持者がこういう風に集まるというケースはよくあるのですが、恐らく出版物にこのようなファンが集まってくるということは、これまであまり聞いたこともありませんでした。そんなことから私は、彼らを担当の編集長A氏に紹介したのですが、彼もそんな読者に接した結果、彼の率いていた「あすか」の編集部の一部をFCの拠点として、会報の編集などに使うようにと貸して下さったのがFCの始まりでした。


会員となることを希望する人々が次々と申し込んできました。やがて彼らには会報や会員証を送るための費用を会費として払って頂いてクラブを維持していくことにいたしました。勿論その中心と働く者はまったくの自弁です。


「鬼笛伝説」の0号が送り出される頃には、会員になることの希望者があまり多いということが判りましたので、この際そうしたファンを一堂に集められたらどんなにいいかと夢を見るようになっていた私は、「宇宙皇子」が作中で活躍する場へ読者も同じヒーローとなって歴史の世界を旅してみてはどうかという提案をいたしました。お陰様で角川書店には旅行を扱う部署もありましたので、それを扱ってくれるということにもなり、その夢の企画は現実的なものとなって動き出したのでした。それが「鬼笛伝説」0号の裏表紙に出された体験ツアーの呼びかけでした。その結果取り敢えずかってなかった「宇宙皇子体験ツアー」が現実のものとなり、第一回目の抽選で決まった200人という参加者と共に、1985年(昭和60年)8月6日~8日までの三日間行われました。会報もその報告を兼ねて、ついに正式な第一号が発行されるようになりました。それに従って角川書店としてもその活動を支援して下さるようになり、小説を担当する編集長のS・Aさんを筆頭に、ベテランのT・Yさん。Y・Tさん。そして若手のK・S君。T・Y君。R・T君も参加して協力してくれるようになりました。


念願の宇宙皇子追体験ツアーは会報の第一号となった「鬼笛伝説」で特集記事として紹介されることになりました。


                「会報・鬼笛伝説1号」1.jpg


      「宇宙・体験ツアー・1」1.jpg 「宇宙・体験ツアー・2」1.jpg 「宇宙・体験ツアー・3」1.jpg


東京(二台)・横浜・大阪からバスで移動してきたファンたちは、金剛山の頂上にある駐車場で合流して、普段は出会うこともできない同じ宇宙皇子ファンとして出会うことになります。みなバスで来るのできっと疲れていたと思いますが、到着するとたちまち若者の活力を発揮していました。


写真はなるべく個人的に困ることにならないように集団中心のものにいたしましたのでご了承いただきたいと思います。


    「宇宙・バスで集結」1.jpg 「宇宙・金剛山頂で集結」1.jpg 「宇宙・緑陰講義」1.jpg


   「宇宙・遺跡へ向かう」1.jpg 「宇宙・史跡での講義」1.jpg 「宇宙・夕食・」1.jpg


   「宇宙・揃ったかな」1.jpg 「宇宙・検討中」1.jpg 「宇宙・どうだ」1.jpg


   「宇宙・七夕コンクール」1.jpg 「宇宙・表彰」1.jpg 「宇宙・夜の講義」1.jpg


ツアーの参加者は、それぞれの地方からのバスに乗って、遠路はるばる奈良県の金剛山頂で集結して合流してから、我がヒーローの宇宙皇子が駆け巡った飛鳥の歴史の跡を探索する旅に向いました。言い出しっぺということもありますが、私は四台のバスを連ねて史跡を訪ねる度に、その遺跡の場が小説の中のどんなところに登場したのかとか、その意味と歴史的な意味につての解説をしながら巡るのですが、その他にすべてのバスを、移動する度に乗り換えて、車内で「宇宙皇子」の執筆にまつわる話、読者との出会いなどについての話をしながら旅をしていきましたが、ツアーから帰ったその日から、また直ぐに次の作品の執筆にかからなくてはならないので、これはかなり重労働の旅でした。


FCの世話役も会長を務めてくれたY・N君。主力メンバーの二人のT・S君。T・Nの君そしてY・Oさんなどは参加者の面倒を見るために参加しましたが、何かと私のかかわったイベントに協力して参加してくれていた弟子の脚本家K・T君。J・T君。そして親しい後輩の脚本家のS・T君が協力してくれていましたので、参加した人たちにとっても通常味わえない楽しみでもあったでしょう。


 兎に角炎熱の夏ですから、史跡、史跡へ移動しながら、なるべく緑陰を見つけながら小説とのかかわりについて説明をしながら強行軍をつづけました。夜は入浴、食事を楽しみ、それからは書く地域の参加者がグループとなって、宿が用意して下さった竹を使って七夕飾りのコンクールとなり、彼らがそれぞれ工夫した寸劇を演じたりして、やがてそれをゲストの参加者による審査が行われて賞を贈りました。


 「宇宙・サイン会」1.jpg 「宇宙・史跡での講義」1.jpg 「宇宙・全員集合」1.jpg


二日目は史跡めぐりをした後は、翌日は朝からサイン会です。いのまたむつみさんも大変だったと思いますが、そのあとまた史跡めぐりをしますが、その度に私は小説の宇宙皇子と史跡のかかわり方などを説明していきますから、まったく休息時間はありませんでした。夜は落ち着いたところで古代史についての簡単なお話をしたりしましたのでくたくたでした。三日目はほとんど帰途の準備ですが、一寸だけ立ち寄るところへ行った後は、それぞれの出発点へ向けて帰途について行きました。


この「宇宙皇子追体験ツアー」はそれから何回か行なわれるのですが、毎回予定人数をかなり超える応募者があったので抽選は大変でしたが、その度に行けなかった人たちも会員として登録してくるようになったので、当時のアイドルのファンクラブと比べても、それをはるかに越えた会員数を誇るFCとして、各方面からも注目されるようになっていったのでした。


やがてFCの拠点は三番目のところへ移転しましたが、日本歯科医大裏のハーモニ会館という千代田区九段北2-3-7の前川九段ビル (九段下)の賃貸オフィスという狭い作業所でしたが、それから何年もの間はずっとここで頑張ってくれたのでした。


最近でもその頃のことを話す機会があると、主力メンバーの人たちはみな口を揃えて、大変ではあったけれども楽しかったといってくれます。彼らにいとっても青春時代のいい思い出になっているのではないでしょうか。


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言霊謎解きの部屋☆ 言32 「ひとくち言霊」(多多良女(たたらめ))    [趣味・カルチャー]

                                                                                                                     「若菜イラスト」.JPG

   

女性の身だしなみについては、とても簡単には言えないような時代になりました。しかしお会いした時に、こちらが予想もしていないようなところに、さり気無く気を使っているようなことに気が付くと、とても嬉しくなることがあります。そんな時、ふと思い浮かべてしまうのは、古代の女性のたしなみのことなのです。


昨今は女性のなみについては、とても簡単には論評できなくなってしまいました。特にファッションなどについてはそうです。迂闊に論評などはできません。実に大胆で、奇抜なファッションを生み出してきたりしますから・・・。それに鮮度や、センスの新しさを感じることもあるのですから。しかしパフォーマンスとしては理解できるのですが、あまりにも行き過ぎと感じるようなものには、納得しかねるものも多くなってきました。価値観の違いによる違和感なのかもしれません。


昨今は男性、女性の中性化という傾向もあって、かつてのように男性は男性らしく、女性は女性らしく振舞うという風習が、大分薄れてきてしまいました。そのために、すべての表現が大胆になって、いわゆる恥じらいなどというものが、ほとんど感じられなくなってしまっています。そしてそれに同調するように、お互いがお互いを気遣うという気風が、すっかり希薄になってきてしまっています。お互いに行きすぎを改めないと、あまりいい雰囲気がなくなってしまうのではありませんか。


そこでですが、男女の性の差がはっきりとしていた時代・・・お互いに、その差を最大限に発揮して生きようとしていた頃のことです。


恋する男と女が出会う約束をした時など、女は大変気を使って出かけて行きました。約束の場へ向かう道すがら、女は小梅の花びらを口に含んでいったのです。それは口臭のために、相手に不快な思いをさせないようにという、ごく常識的な気遣いの風習だったのです。


現代のように、いい医薬品などがまったくない時代のことです。女性はこのような気遣いをして、恋する人と会おうとしました。古代の女性たちは、そうした不自由なところを解消するために、それぞれの知恵を使って、克服していました。


お金を出しさえすれば、すべて用意されてしまう現代の欠点は、工夫することを放棄してしまうということです。そのために知恵も萎えていってしまいます。そしてそれと同時に、恥じらいという感覚も失ってきてしまいました。電車の中で化粧をしたり、足を広げて座ったり、更にはものを食べたりしている人を見かけることがありますが、それが女性なのですから、言葉を失ってしまいます。


女性が人に会う時の心得として、多多良女を口に含んで人に会おうとしていた古代の女性を、妙にいとしく思えたりする梅の季節です。もう、古代の女性のような、心優しい気遣いのある女性に出会うことは、大変難しい時代になってしまったのでしょうか。


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歴史と旅する部屋☆ 歴4「中国取材・演出上手な皇帝たち」 [趣味・カルチャー]

  

「宇宙皇子」の成功で大変活動しやすくなった私は、古代日本と政治的にも文化の面でも中国大陸との接触は無視できないということを知ったことがきっかけで、是非その原点を知っておきたいという気持になって、古代日本にとって先進国として君臨していた中国大陸の統治をする唐国の様子を吸収しておこうという気持になっていました。兎に角北京へ行ったらその代表的な博物館へ赴いて、日本と関係の深かった唐国様子を調べたいと思いました。お陰様で「宇宙皇子」は営業的にもかなり貢献していましたから、当然のことで直ぐにも許可が出ました。おおむね自分の言ってみたいところを列挙して、その希望する史跡を書いて提出したところ、角川トラベルという旅行を仕切っている部署が、交通関係その他の手配を済ませてくれましたので、私は北京空港から市内の大きい飯店・・・日本でいうホテルへ着くと、直ちに編集のS君を引き連れて北京博物館へ向かいました。日本の常識からいえば首都の代表的な博物館ですから、ここへ行けばほんど目的は果たせると思っていったのです。ところが実際に行ってみて愕然としてしまいました。博物館自体はかなり立派に見えましたが、その内容に関しては愕然としてしまったのです。ここで中国の唐時代の歴史を調べて、日本とのかかわりを調べてから史跡を探訪すれば、宇宙皇子の作品に活かしていけると思っていたのですが、その期待はのっけからすっかりはずされてしまいました。二十世紀後半に起こった中国の歴史的な激変にほとんど無関心であったことによりました。中国は1976年(昭和51年)・・・ほぼこの時よりも10年前に、中国大陸を支配していた保守的な蒋介石将軍を支配者とした政権に対して、周辺の貧しい弱小地域の民兵を率いて戦いを挑んできた毛沢東・江青夫妻を指揮官とする共産軍が、激しい戦闘の結果、蔣介石一派を台湾へと追いやってしまって、毛沢東を頂点とする政権による共産政権の支配に変わってしまっていたのです。仮に政変はあったとしても、すでにそれから10年を経過していましたからすべては落ち着いていると考えていたのが大間違いだったのです。今は必死で新しい政権の統治を徹底しようとピリピリしている状態だったのです。


 私は「唐時代」の朝廷の様子が詳しく知りたかったのですが、現代の新政府は古代の朝廷は人民を苦しめる皇帝という権力者の時代だということで、古代の展示物はほとんど排除されていて、そこに出されているのは簡単な紹介が書かれている説明書だけでした。博物館内の展示はほとんど毛沢東が率いて攻め込んできた共産軍の進行状況や、どうやって蔣介石軍を大陸から追放して行ったのかといったといった、共産軍の勝利までの歴史が補トンです。ほとんど資料となるような図書を買うこともできませんでしたが、ついでにお話すると日本から輸入されている角川新書などは、表紙が刺激的で許せないというので、ほとんどのイラストが描かれた表紙ははぎ取られてしまっていました。そんな状態ですから、取材の目的であった古代の歴史についての資料はまったく手に入れることは出来ず、わずかに古代の三国志の政界での戦いなどに使われたという武器の、常に南を指すという羅針盤である指南盤というものを乗せた指南車を見つけたので、それを模型にして売っていたので購入してこられただけでした。最近はどうか知りませんが、さまざまな競技でその指導者を柔道指南とか県道指南とかいうのは、必ず南の方向を示すという指南盤からきた言葉です。


                             「中国・指南車」.jpg  「中国・指南盤」1.jpg


 こんな状態でしたが、宿泊するホテルも大きなものでしたが、設備はほとんど昔の儘で、新しいものはまったくありません。日本へ電話をかけるにも、廊下に一台だけあって止宿するものの共用で、いちいち電話を繋いでもらうように交換手に申し込んで、部屋で待っているという状態のものでした。あくまでも1985年頃のことですが、それでも私には、当時の中国は日本と比べて100年以上遅れていると思ったものです。


 市民の暮らしもまだまだほとんど昔の儘で、とても新しくなったといえるようなものは見られません。S君と市内へ出かけた時には、街角ではじめて人民裁判というものを実際に見かけました。多くの人々に取り囲まれた中で、争いになっている二人の男が激しく自己主張をし合うのです。それに対して集まっている人民がどっちの言い分が正しいかを判定するのです。


 とても日本では見ることもないような風景を見ることもありましたが、予定されているタクシーで史跡の探訪に出かけた時にびっくりしたのは、まったく整備されない広い大通りを爆走するのです。しかもその間に青島ビールを瓶のまま飲みながらです。S君とひやひやしっぱなしでした。


 郊外に到達して万里の長城へ行った時には、流石に古代の戦いが想像できました。 


こんな状態でしたが、宿泊するホテルも大きなものでしたが、設備はほとんど昔の儘で、新しいものはまったくありません。日本へ電話をかけるにも、廊下に一台だけあって止宿するものの共用で、いちいち電話を繋いでもらうように交換手に申し込んで、部屋で待っているという状態のものでした。あくまでも1985年頃のことですが、それでも私には、当時の中国は日本と比べて100年以上遅れていると思ったものです。


 市民の暮らしもまだまだほとんど昔の儘で、とても新しくなったといえるようなものは見られません。S君と市内へ出かけた時には、街角ではじめて人民裁判というものを実際に見かけました。多くの人々に取り囲まれた中で、争いになっている二人の男が激しく自己主張をし合うのです。それに対して集まっている人民がどっちの言い分が正しいかを判定するのです。


 とても日本では見ることもないような風景を見ることもありましたが、予定されているタクシーで史跡の探訪に出かけた時にびっくりしたのは、まったく整備されない広い大通りを爆走するのです。しかもその間に青島ビールを瓶のまま飲みながらです。S君とひやひやしっぱなしでした。


 郊外に到達して万里の長城へ行った時には、流石に古代の戦いが想像できました。


                      「中国・山を回る長城」1.jpg 「中国・万里長城・攻撃壁」1.jpg


  古来中国は匈奴という騎馬民族によってしばしば侵略されるというので、それに抵抗して戦うために築いた城壁が、取り敢えず観光施設としては解放されていましたが、こんなものを何年もかけて完成させる中国という国の国民性というようなものを感じました。


 


古来中国は匈奴という騎馬民族によってしばしば侵略されるというので、それに抵抗して戦うために築いた城壁が、取り敢えず観光施設としては解放されていましたが、こんなものを何年もかけて完成させる中国という国の国民性というようなものを感じました。


                  「中国・宮殿から見た庭」1.jpg 「中国・香炉の置かれた階段」1.jpg


北京市内へ戻ってから案内して貰ったのが、皇帝の使っていた宮殿の様子でしたが、彼らはその宮殿から現れる時には、そこから下へのびて作られた階段のすべてに巨大な香炉のツボが置かれていて、それから香が立ち昇っているのです。臣下たちはその階段の下の下にいて、やがて合図の妙なる演奏と共にまるで天空から現れるようにして薫香に包まれた宮殿から現れるのです。皇帝は正に神々しい天空から現われる神のような姿となって臣下たちの目には映ったことでしょう。当時の中国皇帝が実に演出上手であったことは、天壇公園というところで皇帝が臣下たちに演説をするところも、岡の上のあるところから演説すると、その声は地上よりも高いところから聞こえてくるように響いて、丘の下に控える臣下たちのいる庭に聞こえたといいます。今もその場は残っていて、観光客がみなその場へいって試しています。皇帝たちの残した遺跡をいくつも見ましたが、彼らは自分を如何に偉大であるかを知らしめるために、さまざまなことを利用して神格化を演出していたのを知りました。北京市内へ戻ってから案内して貰ったのが、皇帝の使っていた宮殿の様子でしたが、彼らはその宮殿から現れる時には、そこから下へのびて作られた階段のすべてに巨大な香炉のツボが置かれていて、それから香が立ち昇っているのです。臣下たちはその階段の下の下にいて、やがて合図の妙なる演奏と共にまるで天空から現れるようにして薫香に包まれた宮殿から現れるのです。皇帝は正に神々しい天空から現われる神のような姿となって臣下たちの目には映ったことでしょう。当時の中国皇帝が実に演出上手であったことは、天壇公園というところで皇帝が臣下たちに演説をするところも、岡の上のあるところから演説すると、その声は地上よりも高いところから聞こえてくるように響いて、丘の下に控える臣下たちのいる庭に聞こえたといいます。今もその場は残っていて、観光客がみなその場へいって試しています。皇帝たちの残した遺跡をいくつも見ましたが、彼らは自分を如何に偉大であるかを知らしめるために、さまざまなことを利用して神格化を演出していたのを知りました。


                     「中国・天壇公園」1.jpg 「中国・円丘の下」1.jpg


いろいろ紹介したいこと、紹介したいところはあるのですが、最後に日本から唐へ渡って、そのまま中国の朝廷に仕えて生涯を終えた阿倍仲麻呂の記念碑を見た時には、ちょっと複雑な気持ちになりました。きっと彼は夜を迎えると、故国日本の平城京の三笠の山に昇る月を思い出して、望郷の思いを噛みしめていたことでしょう。


                                       「中国・吉備真備記念碑前」1.jpg


残念ですが今回は北京での取材を断片的に紹介しましたが、とにかく36年もの昔のお話です。何だか嘘のように思えるかもしれませんが、何もかも旧政権の痕跡を排除するのに必死であった、共産政権の姿だけが印象付けられた取材でした。残念ですが今回は北京での取材を断片的に紹介しましたが、とにかく36年もの昔のお話です。何だか嘘のように思えるかもしれませんが、何もかも旧政権の痕跡を排除するのに必死であった、共産政権の姿だけが印象付けられた取材でした。


 


 


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