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☆閑談とちょっと気になる新言霊の部屋☆ 閑19 [趣味・カルチャー]

「つつがなくお過ごし?」

コロナ、オミクロンと、次々厄介な病原体が襲いかかってきて、親しい人とも気軽に会えませんし、まして遠方にいらっしゃるかとは、わざわざ出かけて行くことも不安になって、ついご無沙汰ということになってしまいます。兎に角消息が知れないのは不安になるものです。

 そんなことからせめて手紙を出そうと思うのですが、その冒頭の書き出しのところなのですが、私などはつい「暫くご無沙汰してしまっていますが、つつがなくお過ごしでしょうか」という、典型的なご挨拶で始まる手紙を書くことになるのですが、よく考えるとこの「つつがなく」というのはどういう意味なのかということに突き当たりました。

そこで一寸調べてみることにしましたので、その結果をお知らせしておこうと思いました。

 これが何と聖徳太子の時代から、これは「つつが虫」という虫の名前で、原因不明のきわめて恐ろしい病気として恐れられていたというではありませんか。変に専門的なお話になりますが、これはダニ目のツツガムシ科の節足動物なのだそうで、野ネズミなどに寄生していてつつが虫病を媒介するというのです。

 この病原体が突き止められたのは明治時代あたりになってからのようで、それまでは死亡率が40パーセント以上という、極めて恐ろしい病だった

のでした。

 事件の発生地として知られているのは、明治以降では新潟県の阿賀野川、信濃川・山形県の最上川、秋田県の雄物川が知られているのですが、大雨などが降った時などに水をかぶってしまう、草原や耕地に人が入るとつつがむしの餌食になるようです。ところで思わず思い出したことがあります。

聖徳太子の住んでいらっしゃった奈良県の飛鳥あたりは、湿地帯だったということなのです。古代の大きな戦争として知られる物部氏と蘇我氏の戦いは、湿地帯に暮らして雨季にはいつもあたりに洪水に見舞われる蘇我氏に対して、大阪の八尾市という乾燥した地域に暮らす物部氏は、極めて農産物にも恵まれていたということを考えますと、いつかはその有利な支配地を取ろうとする蘇我氏と、それを拒否する物部氏との間での戦いになることは、止む追えない状況でした。

言うまでもなく聖徳太子は蘇我氏と共に戦いました。

称徳太子はつつが虫を大変警戒していたという話がありましたが、その話が切実に迫ってきます。

どうぞみなさんは充分に知識を頭に置いて、警戒をしながら地方への観光旅行にお出かけ下さい。

つつがなきことを切にお祈りいたしております。


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