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閑話 嵯峨天皇現代を斬る その七の五 [趣味・カルチャー]

      第八章「説得力のある訴えをするために」()

        為政者の課題・「税金のあり方」

 平城京を支配する人脈の複雑さから抜け出して、やっと長岡京へ脱出してきた桓武天皇は、厳しい財政事情をよく知っておりました。

 政庁を支えていくためには、何といっても税というものを無視するわけにはいきません。しかしそれを収める側にある人は、それが国を支えていく基本であることは充分に理解をしているのですが、出来れば収めずに済めばそれに越したことはないと思うものです。しかし税金というものはそこで生きる者が、安心して暮らせることが出来るように、政治、文化、経済、福祉などを充実させる基本的な資金となるものです。

これは古代も現代もないように思われます。

天皇は新天地を活動の拠点とするために腐心していました。

 「朕は天下に君主として臨んで、人民を慈しみ育んできたが、官民ともに疲れ衰えて、朕は誠に心配している。ここに宮殿の造営などを中止して農業につとめ、政治は倹約をこころがけて行い、財物が鞍に満ちるようにしたい。今、宮の住居は住むのに十分であるし、調度品も不足していない。また寺院の造営も終了した。貨幣の流通量も増え、銭の価値がすでに下がっている。そこで造営者(宮城の造営修理を司る)と、勅旨省(宣旨の伝達と皇室用品調達を司る)の二省と造法花寺司(法華寺造営とを司る)と鋳銭司の両司を止めることにする。それで(くら)の宝をふやし無駄を省いた簡易の政治を尊ぶようにしたい。ただし、造宮省と勅旨省の各種の技術者はその能力によって木工(もく)寮・内蔵寮などに配属し、余ったものはそれぞれ配属以前の基の役所に還せ」(続日本紀)

為政者・桓武天皇(かんむてんのう)

延暦四年(七八四)七月二十四日のこと

発生した問題とは

 それから間もなくのことです。山背国が訴えてきたのです。

「食の兵士は庸を免じられて調を出しています。左右両京の兵士に至っては、またその調も免じられています。ところが今、畿内の国の兵士はこれまで優遇されることがなくて、苦楽がびょうどうではありません。どうか京職の兵士と同じく、その調を免除して頂くようにお願いいたします」(続日本紀)

 天皇はその訴えについて、畿内の兵士の調を免じました。

 ところが陸奥国ではこの頃兵乱があって、奥郡の民はそれぞれの村落にまだ集まって来ていない。それで天皇は指示してまた租税三年間の免除を与えた。

 政庁の基礎固めをしているところであったのに、天皇を困らせたのは、陸奥国・出羽国の問題でした。

 「蝦夷は平城の世を乱して王命に従わないことがまだ止まない。追えば鳥のように散り去り、捨てておけば蟻のように群がる。なすべきことは兵卒を訓練し教育して、蝦夷の侵略に備えるべきである。今聞くところによると、坂東諸国の民は、軍役がある場合、つねに多くは虚弱でまったく戦闘に堪えられないという。ところで、雑色(多種の業務担当の下級役人)の者や、浮浪人のたぐいには弓や乗馬に慣れている物、あるいは戦闘に堪える者があるのに、兵を挑発することがある度に今まで一度も指名していない。同じ皇民であるというのにどうしてこのようなことがあってよいであろうか。坂東八国に命じて、その国の散位の子・郡司の子弟および浮浪人の類で、身体が軍士に堪える者を選び鳥、国の大小によって一千以下五百以上の者に、もっぱら無事の使い方を習わせ、それぞれに郡員としての装備を準備させ四。そして役人となる資格のある人となる資格のある人には便宜を加えて当国で勤務評定を与え、無位の公民には(よう)を免ぜよ。そこで、職務に堪能な国司一人に命じて専門にこれを担当処理させよ。もし非情の事があれば、すぐさまこれら軍士を統率して、現地へ急行し、古都の報告をせよ」(続日本紀)

 実に様々な指示もおこなわなくてはなりませんでした。

 新しい京として起訴を固めていかなくてはまらない天皇の気持ちは複雑です。

 「そもそも正税とは国家の資本であり、水害や旱魃への備えである。しかし近年、国司の中には一時逃れに利潤を貪って、正税を消費し用いる者が多い。官物が減少して米蔵が満たない主な原因である。今後は厳しく禁止せよ。国司の中で、もし一人でも正税を犯し用いる者があれば、その他の国司も同様に罪に問い、共に現職を解任して長く任用してはならない。罪を犯して不正に得た物品もともに返納させよ。死罪を放免したり、恩赦を受ける範囲に入れてはならない。国司たちは相互に検察し、違反を起こしてはならない。また郡司が国司に同調して許すのも、国司と同罪にする」(続日本紀)

 天皇は即位してから五年にもなり、環境も人間関係もそこで暮らすには、平城京ではさまざまなしがらみがあって住みにくいことから、決心して長岡京へ遷都してきたのです。

 「諸国が納めることになっている庸や調、その他年間に計画を立てて納めることになっている物品はいつも未納があつて、いずれも国家の用途に不足をきたしている。その弊害はすでに深刻である。これは国司や郡司が互いに職務を怠っているのが原因である。ついには物資を民間に横流しし、そのために官の倉は欠乏しているという。また、民を治めることに関しても、多くは朝廷の委任した趣旨に背いている。私欲なくて公平で職務に適う者は百人に一人もいない。その者の行状を調べ、事柄に応じて降位させたり辞めさせたりせよ。担当の者は詳しく行いの是非善悪を弁別し、明確な箇条書きの規定を作成して報告するようにせよ」(続日本紀)

 税をまともに払わない者がいる上に、職務を怠って徴収することを怠っている者がいるというのです。

為政者はどう対処したのか

 こんなことをおっしゃったのには理由があるのです。

長岡京への遷都はしたものの、為政者として現実の問題と取り組まなくてはなりません。

 まだまだ政庁の基礎を固めるには、様々な問題に取り組まなくてはなりません。

先帝は延暦四年(七八五)五月に詔を発して、臣民の気持ちを引き締めたことを思い出したのです。

「この度遠江国から進上された調・庸は、品質が悪く、汚れていて、官用に堪えられなかった。およそ近年の諸国の貢進物は粗悪で、多くは使用に当たらない。その状況を他に比べ量って、法律により罪を科すべきである。今後このようなことがあれば、担当の国司の現職を解任し、永く任用しないことにする。その他の官司は等級をつけて罪を科せ。またその国の郡司も処罰して、現職を解任して、その系譜を断絶せよ」(続日本紀)

しかしその命令がきちんと行われていないのではないかという心配が出て来たのです。天皇はそうした先の指示に付け加えて、

 「その政務が評判になり、執務態度が悪くならない者は、

はっきり記録してほまれある地位に抜擢せよ。担当の宮司は詳しく行いの是非善悪を弁別し、明確な箇条書きの規定を作成して報告するように」(続日本紀)

 と命じたのでした。

 そこで太政官たちは為政の上での目標を決めた上で、次のような者が出たら、直ちにその役職を外すという厳しい九か条の厳しい規律を打ち出したのでした。

 つい最近土佐国から貢納された調は、その時期が誤っており、物品も粗悪であった。

 天皇は五年の二月には厳しい指示をいたしました。

一つ、官職にあって欲が深く心が汚れ、事を処理するのに

公平でない。 

一つ、ほしいままに悪賢いことを行って、名誉を求める。

一つ、狩の遊びに限度がなく、人民の生活を見出し騒がせ

る。

一つ、酒を好んで溺れ、公務を怠る。

一つ、公務に節度があるという評判がなく、ひそかに私門

を訪れる人の頼みごとをうける不正が日ごとに多

くなる。

一つ、子弟をわがままにさせ、邪な人のもってくる勝手な

請託を公然と受け付ける。

一つ、逃亡して失踪する者の数が多く、捕えた人数が少な

い。

一つ、兵隊の統率法を誤り、守備兵が命令に違反する。

(続日本紀)

 こんな話題を現代の問題として取り上げたのは、それなりに大事な提起になると考えたからでした。

 税金というものはそこで生きる者が、安心して暮らせることが出来るように、政治、文化、経済、福祉などを充実させる基本的な資金となるものです。その国を動かすための原資となる税をきちんと自発的に収めないことも困るのですが、それを守るように指導する立場の者には、それなりの責任があるはずです。仕事に力を尽くし、勢力を傾注して励むという姿勢が大事です。

温故知新(up・to・date)

 昔から「精励恪勤(せいれいかっきん)という言葉があります。職務に忠実であって欲しいのですが、被支配者に対して過酷な指示をするばかりでは、目的を果たすことは難しいでしょう。そのために現代の問題としていわれる、燃え尽き症候群などにはならないで欲しいものです。もちろん国民のほうの心得としてもこんな言葉があります。量入制出(りょうにゅうせいしゅつ)といって、収入を計算して、それから支出を計上する健全財政の心構えが必要です。きちんと税金が払えるように心がけましょう。大盤振る舞いが好きだと言っても「贈遺(いんえんぞうい)という、人を接待して振る舞ったり、物を贈ったりすることには、分相応なようにするべきです。酒食をご馳走したり贈り物をしたりするのは、収入に見合った状態に留めておいて下さい。


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