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閑話 嵯峨天皇現代を斬る その八の二 [趣味・カルチャー]

      第八章「説得力のある訴えをするために」(二 


        為政者の課題・「天下を治めるには内助が必要」


 嵯峨天皇にとっては、政庁での生活には慣れてきましたが、しかし同時に困難にも遭遇するようになります。


 前年の七月のことです。天皇はこんなことをおっしゃいました。


 「畿内・近江・丹波等の諸国では、年来旱害が頻発して、稼苗が損害を被っている。他方、国司は漫然として何もせず、百姓の被害が大きくなっている。中国では孝婦が無実の罪で処刑されたあと旱魃に悩まされ能吏の百里崇(ひゃくりすう)が干天の徐州(じょしゅう)刺史(しし)(中国の地方官)になると、甘雨(よき雨)が降った徒伝えられている。これにより禍福は必ず国司によることが判る。今後、日照りとなったら、国司官長が潔斎して、よき降雨を祈願して厳重に慎み、()(けが)すことのないようにせよ。もし効果がない時は言上せよ」(日本後紀)


 そして更に、年の暮れでしたが、天皇は雪の降る外を眺めながら、こんなこともおっしゃいました。


 「帰順した夷俘は前後でかなりな員数になっている。そこで、適宜各地に居住させているが、官司・百姓は彼らの姓名を称さず、常に夷俘と号している。すでに内国の風習に慣れているので、それを恥じている。速やかに告知して、


夷俘と号するのを止めるべきである。今後は官位により称するようにせよ。もし官位がなければ、声明を称せ」(日本後紀)


 天皇は彼らを戦う対象とは考えていないことを、更に進めていこうとしていらっしゃるようです。


 政庁の姿勢をこれまでのそれとはかなり違った方向へ進めようとしていらっしゃるようです。


 天皇は外国から挨拶に来てくれる使節に対しての対応についても、これまでとは違ったきちんとした決まりを徹底するように指示されます。


 「外国使節はおりおりに日本へやって来る。客館(鴻臚館)の施設は常にしっかりしたものにしておかなくてはならない。近頃、病人が客館で寝泊まりしたり、喪に服している人が謹慎生活のための隠所としていることがある。建物と垣根を壊し、庭を汚しているので弾正台と京職が取り締まれ」(日本後紀)


 情報を手に入れるためには必要な外国の施設の来朝ですが、ただそれが有難いと言って歓迎するあまりに、彼らの無頓着についてはきちんと処理しないと、却って国を乱れさせてしまうということもお考えのようです。


 「軍用では馬がもっとも重要である。いま聞くと頃によると、『権門貴族や富豪の者たちが辺境に使いを遣わして、夷狄(いてき)から馬を求め、そのため辺境では騒動が持ちあがり、兵馬が不足している』という。延暦六年正月に基づき、陸奥・出羽での馬の買い入れは禁止すべきである。 違反者は、厳科に処し、馬は没収せよ。ただし、騎馬に適さない駄馬は禁止する必要がない」(日本後紀)


 天皇は気の付くことを的確に指示していかれます。


 天皇には前からこのような考え方をおっしゃることがありました。


 「朕は慎んで皇位に就き、天皇として事業を引き継ぎ、政務に励んで年月を経た。見は宮中にあっても心は広く人民のことを思っている。七政(七つの政治の拠所(よりどころ)を整えて水干の災害がなく、九農(中国古代の農業に関する九つの官職。ただしここでは国司)を励まして、仁壽(じんじゅ)(仁徳と長寿)の喜びが得られることを願ってきた。そして年来春耕が始まり、開花の時期を待って有り難い雨が降り、秋には稲穂が垂れて収穫しきれず、畝間に穀物を残しているほどである。これは神霊が幸いを降し、僧侶が修繕をしてくれた結果である。朕はこの喜ばしい贈物を得たことで方策を喜んで神々に真心を捧げ、天下の万民の勤労に報いようと思う。そこで国司の監督下で、官社に奉幣し、併せて高年の僧侶及び六十一歳以上の老人、鰥・寡・孤・独で自活不能者に等級をつけて物を施窮せよ。あまねく支給することに心がけよ」(日本後紀)


その思いを民に浸透させるように心がけていらっしゃったのです。


為政者・嵯峨天皇


弘仁六年(八一五)七月十三日


発生した問題とは


 嵯峨天皇のように、意識の上で極めて現代的な思いで皇后を迎えようとされたことは、実に革新的ではないかと思うのですが・・・。更に思いを進めるためには、国の財政の状態が安泰でなくてはならないという現実にぶつかってしまいます。


嵯峨天皇はそれを実践するためには、自らの暮しについても考えなくてはならないものがあるのではないかと考えられるようになったのです。皇子、内親王の数が多く、そのために彼らの暮しを維持するのに、かなりの費用を要することを知っていらっしゃいます。この年自らそれを改革するために、臣籍降下という決断をされました。


 その詳細については、第四章「隠れた事情を突き止めるために」「その四の一」の「「財政悪化で臣籍降下」に紹介されていますのでご覧下さい。



 天皇は思いきったことをされましたが、それにはこんな思いが隠されていたのです。


為政者はどう対処したのか


天皇がこのように多くの皇子、内親王を持つにいたった経緯を考えると、それなりに納得できる理由がありました。つまり母性への憧れが女性への憧れとなっていたのでしょう。まだ天皇が神野親王といわれていた五歳の頃、思慕する母の乙牟漏(おとむろ)を失い、後年最も愛していた妹の高志(たかし)内親王を二十歳というという若さで亡くなられてしまったことが原因であったということが云われています。


しかしてんのうはそうした経験をもとにして考えた結果、為政をきちんと行うためには、身辺を整えるということもあって、これまで夫人(ぶにん)という立場であった橘嘉智子(たちばなのかちこ)を皇后とする決心を固められて、皇后として迎えることに決めたのです。


その日の平安京は激しい雷雨となってしまって、儀場の庭に雨水が溢れてしまったといいます。


嘉智子はその数日前に、仏が身に着けるといわれる宝飾で作った瓔珞(ようらく)(インド貴族の装身具)を着る夢を見たそうですが、後に仏教信仰の篤さを物語る話として伝えられています。兎に角この日は大変印象的な立后の日となりました。宮内卿の藤原朝臣緒嗣(おつぐ)は承明門の前に進み出ると、宣命(天皇の命令)を読み上げました。


「天皇の仰せになるお言葉を、親王たち、臣たち、百官たち、天下の公民ら皆の者聞きなさい。天皇が天下を治める政は一人で行うべきものでなく、必ず内助が必要であり、古来、皇后を定めて行うものと聞いている。そこで従三位橘夫人を皇后に定めた」(日本後紀)


昔から「内助の功」ということはよく言われていましたが、あの平安時代に、しかも絶対的な存在である天皇が、はっきりと皇后の存在を認めて皇后として迎えたことは驚異的ではありませんか。それまでの天皇が皇后を迎えても、その存在感は絶対的なものであって、現代社会のように人間的に対等な存在として認められたのは、驚異的な事だったのではないでしょうか。それほど嘉智子皇后は若いころから天皇を支えてこられました。天皇が天皇として君臨していられるために、皇后はさり気なくそれを支えていかれたのです。主人が会社へ出勤した後で、夫人は子育て、保育園、幼稚園への送り迎え、ご近所との交流と、男には判らない働きがあります。


天皇は伴侶を得て、為政に取り組み始めたのでした。


 「天が人民を生じ、役人を置いて」収めるのは、財物を豊かにして役立たせ、天下に教化を達成するためである。そこで、朕は人民の落ちぶれた受胎を救おうと思い、夜明けに至るまでつとめ、農民が豊作を歓び、婦女が憂えなく機織できる方策を考えている。しかし、去る五月から洪水が続き、田畑は耕作できなくなっている。いったい百姓が


足らないようであれば、君主は誰と共に足るということがあろうか。そこで、左右経と畿内の今年の田租は中止する。百姓にいつくしみを施すことにつとめ、朕の意に副うようにせよ」(日本後紀)


現代でもいえることです。夫婦は一体で協力し合いながら生活の維持をしていきますが、それと同じような関係で、為政者と非為政者との間に亀裂があっては、いい結果は現れません。お互いにそれぞれの暮らしを守りながら、協力し合うということが大事です。


 温故知新(up・to・date)でひと言


 まさに「同甘共苦(どうかんきょうく)です。共に楽しみ共に苦しむということです。過程を維持する同志でもあります「悪婦破家(あくふはか)と言われますが、まさにその通りです。悪妻は夫の一生を台無しにしてしまいます。皇后橘嘉智子は生涯天皇を支え続けましたが、最後にこんな言葉があるのを紹介しておくことにしておきましょう。「朝雲暮雨(ちょううんぼう)というものです。これはある日愛する男性に、女性が次のようなことを言ったと言います。私は巫山(ふざん)の峯に住み、朝には漂う雲となり、夕べには降る雨なって、毎朝毎晩陽台の下に降ります


翌朝見ると、果たして峯には雲が渦巻き、漂っていたというのですが、この美女は巫山の女神であったということでした。この四字熟語は男女の深い仲を著す言葉ですが、彼女が女神であったということを考えると、家庭での女性の存在は女神としての存在に当たるのかもしれません。その存在をはっきりと見読めて、宣言をしていらっしゃる嵯峨天皇の優しさや、女性の存在感を認めようとする先進性を、改めて感じますが、どうでしょうか。



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