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閑話 嵯峨天皇現代を斬る その八の四 [趣味・カルチャー]

   第八章「説得力のある訴えのために」(四 


    課題「貧すれば鈍する」


 今回敢えて現代の問題として取り上げたのは、怨霊による被害という問題ではありません。冒頭にあった公卿の言葉の中にあった「貧すれば鈍する」ということですが・・・。


為政者・嵯峨天皇


光仁十年(八一九)二月二十日のこと


発生した問題とは


 新年を迎えたのですが、天災による困難は前年から引きずったままで、朝議において公卿たちからは、次のようなことが訴えられます。


 「年来不作で、百姓が飢饉になっております。官の倉は空洞化して、恵みを施すに物がありません。困窮した民は飢えに迫られると、必ず廉恥(れんち)の精神を忘れてしまいます。私たちは使いを畿内に派遣して富豪の貯えを調査し、困窮の者に無利子で貸し付け、秋収穫時に返済させることを要望いたします。こうすれば冨者は自分の富を失う心配がなく、貧者は命を全うする喜びを持つことが出来るでしょう」(日本後紀)


 それには天皇も直ぐに納得されて許可を出しましたが、ふと昨年のことを思い出していたのです。


 天皇は鬱積しがちな気分を開放しようと嵯峨別院へ行かれたり、神泉苑へ出かけられたりされるのですが、従った重臣達にこんなことをおっしゃいました。


 「天命を受けて皇位に就く者は、民を愛することを大切にし、皇位にある者は物を(すく)うことを何より重視し立派な精神を()み行うものである。朕は日暮れ時まで政務に従い、夜遅くなっても寝ずに努めているが、ものの本性を解明するに至らず、朕の誠意では天を動かすことができず、充分な調和を達成できないまま、悪い(しるし)がしきりに出現している。最近、地震が起こり、被害が人民に及んでいる。吉凶は人の善悪に感応して、転がもたらすものであり、災害はひとりでに起こるものではない。恐らくは朕の言葉が理に背き、民心が離れてしまっているのではあるまいか。朕は天が下す刑罰を恐れ心が安まらない」(日本後紀)


 それでも民が理解してくれているか判らないのです。


その日任官のあった者に対しては、次のような(みことのり)をされました。ところがそれから間もなく霧のかかった天空には、凶兆といわれる白虹が現れたりするのです。それから間もなくのことです。山城(やましろ)美濃(みの)若狭(わかさ)能登(のと)出雲(いずも)の国が飢饉となったという知らせがあったのです天皇は直ちに


「倉庫の貯えが尽き恵み与えようにも物がないので、無利子の貸付を行い、百姓の窮迫を救うべきである。貸付額は(しん)(ごう)(貧民にほどこして賑わすこと)の例に准ぜよ」(日本後紀)


 なんとか困難を克服したいというお気持ちでいっぱいでした。


一度は青麦を馬の飼料にすることも許可したのですが、それを再び禁止せざるを得なくなってしまうのです。それほど飢饉の広がりは危機的だったのですが、前の年は「天下大疫す」といわれるほどの国家的な危機に襲われたのですが、それを嵯峨天皇と皇后の努力で何とか克服することができたのに、依然として天候の不順の影響が続いているのです。


為政者はどう対処したの 


 それほど飢饉の広がりは危機的だったのですが、前の年は「天下大疫す」といわれるほどの国家的な危機に襲われたのですが、それを嵯峨天皇と皇后の努力で何とか克服することができたのに、依然として天候の不順の影響が続いているのです。天皇はその翌日水生野(みなせの)で狩猟を行うのですが、夕刻になって河陽宮(かやのみや)へ入り、水生村の窮乏の者に身分に応じて米を賜った。しかし飢饉の状態はひきつづいています。なぜこうまで辛い日々がつづくのだろうかと心労が続くのですが、その脳裏に思い出されることがありました。


「朕に思うところがあり、故皇子伊予と夫人藤原吉子らの本位・本号を復せ」(日本後紀)


突然命じられたのです。


天皇がまだ神野親王と呼ばれていた時代の政庁で実力を発揮していた伊予親王が、突然平城天皇を呪詛したという訴えがあって、不孝にも逮捕されて飛鳥の河原寺へ送られ、祖霊桓武天皇に愛されていた母の吉子と共に自決してしまったのです。その後この事件については藤原氏による誣告(ぶこく)(事実を偽って告げること)ではないかということが秘かに囁かれるようになっていたことから、二人の名誉を回復して、その怨念を鎮めようとなさったのです。それほど飢饉の広がりは深刻だったのです。しかし今回敢えて現代の問題として取り上げたのは、怨霊による被害という問題ではありません。冒頭にあった公卿の言葉の中にあった「貧すれば鈍する」ということです。


温故知新(up・to・date)でひと言


 暮らしに追われるようになってしまうと、その日、その時をどう生きられるかと動くだけで、現状がどう回避できるのかと、知恵を働かせることも、そのための努力をしてみる余裕もなくなってしまいます。ただただ為政者の施しが少ないと言って、不満を言うだけでまったく現状打破という希望が生まれる糸口も生まれません。我々に必要なのは、貧した時にこそ、なぜそうなのかということを考えて、その状態から抜け出るには、何が欠けているのかを突き止めて、それを払拭するための努力をしてみなければ、明日に続く希望は何も見つからないでしょう。古代も現代もなく、どうしても貧すると鈍してしまいます。貧する前にやるべきことがあるのではないでしょうか。これも「南橘北枳(なんきつほっき)」といって、風土によって人の気質が違うということもあります。「酔生夢死(すいせいむし)」といって、酒に酔い、夢を見ているような心地で、無為に一生を過ごしながら、それに気が付かないでいるような人もいます。今何が起こっているのかをしっかりと知って、そのために何をしなければならないのかということを、真剣に考えなくてはなりません。つまり「実事求是(じつじきゅうぜ)」という言葉を頭に叩き込んでおくことが大事です。



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