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嵯峨天皇現代を斬る その十一の四 [趣味・カルチャー]

   第十一章 「落書きの真意を知るために」(四)


    課題「帝も知っている童謡(わざうた)


 最近の落書きを見ると、ただ悪戯がしたいだけであって、古代のように主義主張があるものは、ほとんど見あたりません。古代のものにはかなり真実を訴える文学的な資質もあったように思えてなりませんが・・・。


為政者・嵯峨天皇


弘仁十二年(八二一) 


発生した問題とは


 「弘仁八年、九年には水害・旱害があり、穀物が稔らず、官の倉庫も次第に空洞化してしまった。弘仁九年の公卿の報告によると、しばらくの間五位以上の者の俸禄の四分の一を割き、公用に充てるようにしたが、現在、五穀がよく稔り、国の支出を支えることが可能である。俸禄などの数を旧例に戻すべきである」(日本後紀)


 昨年のことです。天皇が災害について思うことをお話になると、それに対して公卿は、次のような返答をいたしました。 


 「私たちは、臣らが議定して削減した俸禄等を、みな恩旨により旧例に復することになりました。伏して陛下の御膳も同様に常例に復しますことを要望いたします」(日本後紀)


 弘仁九年に四月に、天皇と皇后の用途に充てる物品や日々食事を省減した記録がある。


 状況に応じて天皇もその日常にも気を使っていることが判るのです。しかしいつの時代にも、庶民の感覚と為政者の感覚にはずれがあって、すべてについて満足などということはあり得ないようです。嵯峨天皇にしても、常に民のための為政を行なおうと努めていかれる方なのですが、それでも中には、皮肉をいってみたくなる者はいたようです。


「宇治拾遺物語」や「江談抄」にも紹介されているのですが、文人政治家といわれるだけあって、嵯峨天皇には文筆関係の方とのお付き合いもかなりありましたが、そんな中の一人である小野岑守が、ある日天皇には思いがけないお願いをしてきたのです。岑守の子息である篁が、十代の頃に蝦夷討伐に遠征する朝廷軍に加わってから、それ以来戦うことにばかり興味を持って弓馬に夢中で、すっかり大学の文章生であることを忘れてしまったような毎日だというのです。まったく学問に勤しむということがなくなってしまっているので、岑守は天皇からお叱り頂けないでしょうかというのです。そこで天皇は直ちに篁を呼び出して、様々な問題を繰り出すのですが、篁はまったく動揺するようなこともなく答えてしまうのです。そこで天皇は、これは答えようがないだろうと、意地悪な問題を出します。


内裏に立てられていた木片を取り出されると、「無悪善」という落書きを差し示めされて、それを読むようにおっしゃられたのです。


恐らく篁はそこで息を飲んでしまうのではないかと、その表情を見つめていらっしゃいます。ところが篁はまったく表情を変えるようなところもなく、即座に「サガなくてよからん」と読んだというのです。


為政者はどう対応したのか


 実はこのころ、世の中を諷刺したり批判したりするようなことがかなり多かったのですが、それもその落書の一つだったのでしょう。天皇はそんなものまでも、しっかりと集めていらっしゃったのです。篁はそれに対して、実に機知に富んだ返答をしたのです。つまり悪をサガと読むのと、天皇の嵯峨という名とを重ねて答えたのです。普通であったら、天皇に対する不敬な返答でお咎めを受けても仕方がないところです。しかし帝はそれにはこだわりませんでした。


 嵯峨天皇も在位十二年にもなります。


 最近時期はずれの大雨があって河水が氾濫して災害をお越し、河内国で被害が大になっている。秋の稼ぎがこれによって損なわれ、そのため人民が苦しんでいる 


「朕は今被災地を通過して、状況を目にして、悲しみを増している。人民にいったい何の罪があろうか。損害を被った諸郡に三年の課税免状を行なえ。最も貧しい者に対しては、去年貸し付けた出挙租税の未返済分と今年の租税を免除せよ。山城・摂津両国は、国境が入り込み、河内国と接している。河内国で起きた反乱の被害は両国でも起きているに違いない。水辺の百姓で、財産を流失した者は今年の租税を出すに及ばない。三国共被害を受けた貧窮の者には、事情に応じてものを恵み与えよ」(日本後紀)


苦闘していらっしゃったのですが、庶民にとっては皮肉もいってみたくなる日常だったはずです。普通ならそのような者は無視するか、破棄してしまうはずなのですが、それも民の声として受け止めていらっしゃったのです。あの落書きにしてもその一つだと思うのですが、現代の為政者に対して、洒落た短文で痛烈に批判するような者は出て来ないでしょうか。


温故知新(up・to・date)でひと言


 在野の立場からの、政府に対する激しい批判。為政者や行政に対する民間の厳しい批判を「草茅危言(そうぼうきげん)と言いますが、先ずは「千思万考(せんしばんこう)です。いろいろと考えを巡らす必要があります。それはあくまでも「黄絹幼婦(こうけんようふ)でなくてはなりません。黄絹は色糸であるから、この二字を偏と旁に置くと「絶」の字になる。また幼婦は少女で、この二字を偏と旁に並べると、「妙」の字になる。「絶妙」の意味です。この意味を判読したことも見事ということですが、このように批判された本人も、思わず唸ってしまうようなものであって欲しいものですね。


 


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