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告知と放談の部屋☆ 放91「連作する馬力が必要」 [趣味・カルチャー]

 「宇宙皇子」シリーズのベストセラー化は読者の希望に沿うためか、それとも書店の希望によるものなのか、出版社である角川書店の希望によるものかは判りませんでしたが、兎に角よく売れましたが、地上編の第十巻目を1985年9月に出版した後で、1986年(昭和61年)6月に次のシリーズである天上編の第一巻「天界の異邦人」が発売になるまでには充分に時間がありましたので、私はかねてからお話のあった徳間書店の、「エプリルシャワー物語」という青春小説を執筆して4月に発売したのです。

ところがそのことが、私にとっては試練の時になってしまったのでした。


しかし残念でしたが当時はそんなことなどに気づくようなことはまったくありませんでした。むしろ二つの出版社から違ったジャンルの作品を出版できたことで、大変満足していましたし充足感でいっぱいでした。その後角川書店の「宇宙皇子」の「天上編」の一巻目の原稿も問題なく快調に書き上げてしまいましたので、徳間書店から依頼のあった「エプリルシャワー物語」のサイン会も快く受けたのでした。


まだこの頃は出版界についてはほとんど知識もない頃ですから、それぞれの会社から連絡をしてくれることについては、その依頼については真摯に受け止めて、やれるかどうかという判断をした上で判断した通りきちんと応えてきました。まったく迷惑を掛けずに、どちらの会社の依頼についても成し遂げてしまいました。


「宇宙皇子」の天上編「天界の異邦人」は間違いなく、予定されている日に出版されました。


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ところがこの時から角川書店と徳間書店との間には、密かに私を巡って激しい戦いが始まっていたようです。勿論あの頃そんなことにはまったく神経を尖らせている余裕はありませんでした。前述しましたが、私にはまったくそういうことについて神経を尖らせるほどこの世界についての常識についての知識がありませんでしたので、出版社から入る原稿の依頼にどう応えていくかということに必死だったのです。お陰様で締め切りを頭に置いて混乱しないように整理していましたが、兎に角各社からくるさまざまな依頼をこなしていくには、まず筆力を発揮できるのかどうかという問題があるということに気がつきました。どんなに仕事の機会を作って頂いてもそれを支障なくこなしていくには、先ず原稿を書くという肉体的な負担に耐えられかどうかという問題に直面します。もしそれに応えられないのであれば、一刻も早くお断りしなくては、先方に迷惑をかけることになってしまいます。仮に日常的な暮らしを犠牲にしてもいいというような決心はつけられたとしても、基本的に体力がないと作業をしつづけることは出来ません。


 その頃は私自身子供との対応は家内に任せて、私はほとんどかかわれなくなっていました。今になって思い返しますと、よくあの無茶苦茶な私の生活ぶりに耐えてくれていたなと思っています。しかしこの考えようもない状況に耐えて仕事に支障を生じないようにしていけたのは、私自身の驚異的な強靭さに支えられていたということがあったからです。


当時の写真を見ると兎に角痩せていて頬もこけていますが、肉体的にはかなり酷使してもそれで倒れてしまうというようなか細さはありませんでした。それだからこそ、来る仕事も来る仕事も喜びを持って挑んでいくことができたのです。最近になってつくづく思うことは、当時の無茶苦茶なスケジュールに耐えられたのは、ひとえに健康そのものであったということのお陰です。若い頃からテニスで鍛えていたことがよかったのかもしれません。


 


 ところが角川書店に異変が起こりだしたのは天上編の第二巻目の「戯女市の女」が七月に発売された後のことだったのです。


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角川書店は新書版の地上編の十巻の文庫化を始めたのです。九月、十月に三巻まで発売してきたのです。どうして天上編が始まったばかりだというのに、前のシリーズの文庫化をし始めたのです。


 (こんなことをしてもいいのか)


 出版の理屈が判りません。


 


 しかし営業的な部署での授総部の判断であるということで、それに反対するようなことは出来ません。新たな文庫に関しても、まったく勢いは落ちませんでした。新書版の時と同じように売れていきます。当初心配した私もそれを知ってまったく気にするようなことがなくなってしまっていたのでした。


                       「宇宙皇子・文庫1」1.jpg 「地上編文庫・2」1.jpg 「地上編文庫・3」1.jpg


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  天上編の宇宙皇子第三巻目「天の補陀落恋渡海」は、ようやく11月に発売になって1986年は終わったのでした。


翌年の1987年は、天上編第四巻目「荒魂怨歌抄」第五巻目「天界千年戦☆陰の巻」第六巻目「天界千年戦☆陽の巻」が発売され、増したが、地上編文庫の次のような4巻、5巻、6巻が発売されたのでした。


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文庫化は新しく話を書き下ろすということはありませんので、作家にとってはその分時間的なゆとりができますので、他に書くものがあれば、充分に書くことができますが、兎に角このような滅茶苦茶なスケジュールをこなしていくには、こうして作品を連作する体力がなくてはできません。特に大衆作品を書く人にとっては、それができるかどうかということが評価を決められてしまいます。それだけは自信を持って言い切れます。藤川には影武者がいるのではなどと陰口をきく者もいたようですが、あれだけ絶えず編集者が出入りしていては、とても影武者がたちいる余地などまったくないことは判ったはずです。若い時から夢をため込んでいることも、連作する大事なことだと思います。あとはその発表の機会を待つだけです。わたしはその機会と巡り合う幸運にも恵まれたということでしょう。どん底時代に巡り合った月とのめぐり逢いから、なぜか運の流が変わったように思えます。


 


 


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思い出作品の部屋☆ 思12「エプリル・シャワーと横浜」 [趣味・カルチャー]

  

映像の世界から転身する機会を模索している間に角川書店との縁が出来て、幸いにも「宇宙皇子」という作品がヒットして、その勢いに乗って活字の世界での作業を連打している最中のことでした。すでに「宇宙皇子」の地上編十巻の出版が終わりましたので、映像時代からのお付き合いの深い、その中でもテレビの放送番組に関する雑誌である「アニメージュ」とのつながりから、徳間書店から依頼された小説の執筆という話です。角川書店の作業に区切りがついた時でもあり、本来ならそれで暫く休息していてもいい状態だったのですが、書くということに意欲が高まっていたこともあったことから、まったく休息するという気持にはならず、これまでのおつき合いに感謝する気持ちもあって徳間書店の依頼を引き受けることにしました。


テレビ時代では、こんなものも書きたいと思っても、何か流行っている番組があると、大体それと同じような作品の執筆依頼がつづいてしまうのが通例で、物書きとしては大変欲求不満状態であったのです。そんな状態であったところに、放送界にも不景気が遅い襲いかかってきたのです。私はそんな機会に転身の機会を探し始めていたのです。


そんな時に縁を得て書いたのが古代歴史ロマン「宇宙皇子」でしたが、幸いにも好評で地上編を終わりました。もうその時次のシリーズは「天上編」ということになるということについては編集部へ伝えてありましたし、その第一巻の発売が来年の六月になるということもはっきりとしましたので、徳間書店から声がかかったのです。しかも幸いなことに、「宇宙皇子」と同じような古代史を背景にしたものをというような註文はありませんでした。そこで私は、かねてからいつか書いてみようと思っていた青春小説を書きたいと提案しました。編集担当としてやって来て下さったのが、テレビの人気作品であった「六神合体 ゴットマーズ」の、軽井沢でのスタッフの座談会を取材しに来てくれたこともある気心が知れたOさんという女性だったこともあって、私の提案についてほとんど反対はなく、構想についてはほとんどお任せして頂きました。ただその時私は、イラストレイターの選考についてはある注文をしておきました。映像時代では作画にいちいち注文を付けることは出来ませんでしたが、小説の挿絵である以上あまり筆力の落ちる方は困るので、青春を飾るのに相応しい絵の描ける人を選んで欲しいと注文したのでした。その間に私は早速提案した青春物に相応しい内容を煮詰めていました。


 実はこの頃私は横浜からデビュウして「結婚するって本当ですか」で大ヒットを飛ばしたダ・カーポとのお付き合いで、彼らが横浜青年会議所でのコンサートを行うことになり、その構成を受け持つことになったことがあったのですが、その時に紹介された青年会議所幹部の面々から、たまたま私がさまざまな映像作品のヒットにかかわっているということを知って、彼らは横浜を舞台にした映像作品が作りたいと思っていたので、何かいい話を考えて貰えませんかというお話になったのです。それ以来そのことは忘れたことはありませんでしたが、すでに角川書店でのヒット作品を連続的に書かなくてはならなくなってしまったこともあって、直ぐには青年会議所用の作品のことを考えることはなかったのです。ところがそんなところへ飛び込んできたのが徳間書店からの小説の執筆依頼だったのです。兎に角今は「天上編」を書くまでにかなり時間的に余裕があります。


 1986年4月30日発売の「エプリル・シャワー物語」は夢中で書き上げたのでした。


「宇宙皇子」を執筆しながらでも、当時は活力が溢れていて執筆が苦しいとか嫌になるというような気持ちにはまったくなりません。「宇宙皇子」とは違ったジャンルの作品が書けるということもあって、楽しみを持って書ききる馬力を発揮することができたのです。イラストについてもいくつかの候補から、私は太田慶文さんに引き受けて頂くことにいたしました。


大変品格のある美しい少女の姿に惹かれたのがきっかけでした。


                                             「徳間・エプリスシャワー物語」(1980・6・4)1.jpg


横浜の町の片隅に捨てられていた不幸な人生を生きることになってしまった赤ん坊を、たまたま発見してしまった高校生の男女が、その捨て子を放っておくことができなくなって、さまざまな障害を克服して面倒を見てやろうと動き出したのでした。あまりストーリーのすべてを説明することができませんが、もし映画化という計画が現実化するとしたら、その中心人物となって赤ん坊を育てることになる人のいい男子学生には、当時デビュウして人気を得ていた、剽軽もので明るく軽快な演技でも評価されている柳沢慎吾さんを起用しようと思ったりしながら、それらの作業は横浜青年会議所の方々にお任せして、私はもう角川書店の作業にかかっていましたので、「エプリル・シャワー物語」の映像化に関してはほとんどお任せ状態でしたが、その間に徳間書店も編集担当のOさんは、キャンペーンのために、サイン会を企画して下さいました。6月5日のことです。横浜大仏次郎博物館での読者との懇親会を開くことになったのです。横浜の港が見える丘公園にある「鞍馬天狗」などで評判の作家大佛次郎さんの文学館でした。


  「徳間・大佛次郎記念館・案内板」1.jpg 「徳間・大仏次郎記念館を望む」1.JPG 「徳間・大佛次郎記念館」1.JPG


紹介した写真は、今から31年も前のことですから、もうあの時集まってくれたファンのみなさんも、みな40代になっていらっしゃるはずです。今頃はどんな青・壮年気を迎えていらっしゃるでしょう。皆さんにとっても、それぞれの思い出に繋がる光景ですが、残念ながら一人一人のお名前も判りませんし、追跡して掲載の許可を取るということもできませんので、思い切って当時を懐かしく思いながら掲載に踏み切りました。どうかご了承下さい。


                    「徳間・ファンとの交流1」1.jpg  「徳間・ファンとの交流2」1.jpg


                           「徳間・ファンとの交流」1.JPG


残念でしたが、横浜を舞台にした青春物語は映画にすることは出来ませんでしたが、作中で活躍した登場人物たちは、今でも生き生きと存在しています。ヒーローになりそこなってしまった幻の柳沢慎吾さんもまだ元気な姿をテレビで拝見しますが、その度に私は幻となってしまった映画のことが思い出しています。


 みなさんとはコロナのために出会うこともできませんが、どうか元気でお過ごし下さい。


私も高齢にはなりましたが元気いっぱいです。まだまだ頑張るつもりでおります。


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