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閑話 嵯峨天皇現代を斬る その五の二 [趣味・カルチャー]

      第五章「決断の時を誤らないために」(二)


        課題「備えることの大事」


長い平和な状態に馴染んでしまっていることもあって、万一の時の備えということなどには無頓着になりがちかもしれませんが、今は・・・。


為政者・嵯峨天皇


弘仁元年(八一〇)十二月二十七日のこと


発生した問題とは


 嵯峨天皇による政庁が発足したばかりだというのに、平城上皇の復活を企てた「薬子の変」が始まってしまいましたが、迅速な対処で処理したある日のこと、天皇は心ならずも皇太子の高岳親王を廃して中務卿(大伴親王)を皇太子に立てて、政庁の体制を組み立て直しました。そしてやがてこうお話になりました。


 「飛鳥朝(皇極天皇)まで年号はなく、難波に朝廷を置いた孝徳朝にはじめて大化の年号を定めた。以来、それに倣い代々今日に至るまで、年号を使用しており、天皇が即位すると代の初を称し、時々に相応しい年号を定めている。朕は小人物で才を欠くが、皇位を継承し、支配者として臨んで、ここに二年になる。日月が経過したしたが、新しい元号を立てていない。現在、穀物は豊作となり、人々は稔りを称えているが、まことに皇室の祖先の霊と土地と穀物の神である社稷(しゃしょく)の助力によるのであって、不徳の朕のよくするところではない。朕は、天下とこのめでたいしるしを喜びたいと思う。そこで大同五年を改めて光仁(こうじん)元年とせよ。遠方にまで布告して、朕の意を知らせよ」(日本後紀)


 即位した嵯峨天皇はその後で行う大嘗祭のために、松崎川で禊をして備えると、渡島(津軽半島の北端化、北海道南部)の蝦夷二百人が陸奥国の気仙郡にやって来ました。この人たちは陸奥国の管轄ではないので、戻るようにいったところ、「今寒い時期で海路は困難ですので、来年の春を待って帰郷したい」と願い出てきました。天皇は直ちにその要請を許可し、滞在中は気仙郡が衣と食料を支給することにしました。


しかしそれを迅速な対処で処理したある日のこと、戦いの勝利に貢献した僧の空海は、高雄山寺からわざわざ宮中へやってきて、嵯峨院へ「五覚院」という帝の持仏堂を建立したいという請願をしたのです。天皇の要請もあって(へん)の鎮静化に貢献した空海の頼みですから反対はありません。しかもそれが帝の安泰であることを祈願し、鎮護国家を願うためのものであるというのでなおさらのことです。申し出は直ちに許可されると同時に、空海は南都の東大寺の別当にも任じられました。北都といわれる平安京の仏教とは生き方の違いから生まれている平城京仏教との溝を、彼の力で埋めようとする朝廷の苦肉の策でもありました。朝廷は十二月になると、伊勢の神に次ぐ高い地位を得ている石清水八幡宮へ、戦いの終結を報告すると同時に、守護に対する感謝を伝えるために、参議となった巨勢野足(こせののたり)を送ると変に関しての論功行賞も行い、嵯峨天皇は本来の為政の務めへ立ち戻られたのでした。


為政者はどんな対処をしたのか


 即位された時から、偉大な祖霊の為政を参考にされながら、改革すべきことは大胆に行っていくという意欲をお見せになりましたから、臣民からも信頼され期待も寄せられていた天皇は、自らの新たな課題を自覚していらっしゃったのです。あの変は上皇が仕掛けたことでしたし、それに立ち向かったのは、為政を預かる者としての抗議であったのです。しかし古来守られてきた長幼の序という秩序を無視して戦ってしまったのです。その問題はこれから為政の中で、絶対に糺していかなくてはならないと心に秘められたのでした。そんなある日のこと、播磨(はりま)国から、次のような訴えがあったのです。


「日月・星辰がものの道理やあり方を示していると思うが、北斗七星が北極星を守っているように親衛軍が皇宮の守備についている。地域ごとに機能する武力が有用なことは、古典にも記されている。武力が兵乱を(しず)め朝廷への侮蔑(ぶべつ)を防ぎ、これによって全国が従うようになる。今、左右近衛府(きんえふ)の近衛の員数を削減しているが、もし緊急事態となったら、どうしてすぐに対処できるだろうか。人員の増加・削減は文武共に第一に留意すべきことであり、時々の情勢に応じて、廃止や設置をしなくてはならない。左右近衛(このえ)(宮中の警備)に関しては旧来の員数に戻すべきである」(日本後紀)


ここでの現代への問いかけは、あまり無視していられない問題を秘めているのではないかと思うのです 


温故知新(up・to・date)でひと言


 空海による政庁に対する備えということに対して、我々はどう受け止めればいいのでしょうか。現在の世界はそうすべてが手放しで平穏な状態でいられる状態にはありません。それは今日的な問題とも思えてきたのです。


万一の時に備えるということに無頓着になりがちかもしれませんが、現在の世界はそうすべてが手放しで平穏な状態でいられる状態にはありません。本来は世界が平和を維持するために結成しているはずの国際連合・・・とまり国連なのですが、どうも一党一派に偏ってしまうために、困難な問題が山積で、危機回避に絶対的な力を発揮出るとは云い切れません。私たちはそんな中での平和を保っているわけで、少なくとも国の安穏を維持するための問題については、真剣に考えておかなくてはならないなと考えさせられてしまったわけです。勿論、その備えは過剰防衛に走ってしまうことは避けなくてはなりません。却って周辺の国々に警戒心を煽ってしまうことになってしまっているのは大変です。昔から居安思危(きょあんしき)ということがいわれています。平穏な時にも万一の事を思って、常に用心を怠らないことが必要であるという諌めです。気になることは、大事にならないうちに片付けておく必要があります。(とう)(けん)()(けい)といって、焼き物の犬は吠えないし、素焼きの鶏は夜明けを告げない。形だけで実際には役には立たないもののたとえですが、剛毛斧柯(ごうもうふか)ということも言われます。災いは小さいうちに取り除いておくべきで、大きくなってからではどうにもならないということを言っているのです。しかし現実にはどうしてもそれができないことが多くて、気がついた時には取り返しがつかないことになってしまっている場合がかなりあります。安穏を維持するには、それなりの努力が必要だということです。きわめて判断の困難な問題だと思います。



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