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☆閑談とちょっと気になる新言霊の部屋☆ 閑15 [趣味・カルチャー]

「八幡神社の謎」

わりに地味なのですが、数だけは圧倒的にある神社の一つに、八幡神社というものがあります。

有名なところと言えば、九州の宇佐八幡、京都の石清水八幡、鎌倉の鶴岡八幡などというものがありますが、とにかく調べたところその数は、四万社を超えるとも言われているのです。しかしこの神様は、ちょっと日本古来の神様たちとは様子の違うところがあるとは思いませんか。

この神様も一応日本古来の神様だと言われているのですが、どうも様子の違うところがあるのです。そのきっかけを作ったのは、明治時代に行われた、廃仏稀釈という命令です。江戸時代の国学者であった、平田篤胤(ひらたあつたね)が提唱した日本神道を徹底するということで、仏教を排除しようとしました。そのために京都などの大きな寺は別として、ほとんどの寺では、仏像、仏具を破棄しなくてはならなくなってしまったのです。中には、釣鐘にいたるまで処理されてしまいました。

異国の神である仏教を排除しようとした動きだと思うのですが、こういうことが行われて行くうちに日本は危うい方向へと突き進んでいってしまいました。そうした動きのために、この八幡神もちょっとおかしな扱いをされてしまうのです。どうもこれは異国から入って来た神だったからです。つまり仏教の神だったからなのです。日本では古代から為政者は日輪を信仰していましたが、この八幡神の祭神は月なのです。日輪ではありません。菩薩の光背が月だとすると仏ではありませんか。

昔、武士たちが神に祈る時、「南無八幡大菩薩」と唱えて、斬ったり弓を射ったりして戦いに向かいました。しかし確かに仏の印字である大菩薩ということが最後についています。これは明らかに仏教の神であることの証です。つまり日本の神ではないということにもなるのです。

そんなことがあるので、明治政府は八幡神の神号を唱えてはならないという命令も発しました。

現在は八坂神社と言っている京都の人気の神社ですが、昔は牛頭天王を祭る祇園社と言っていました。その残骸が庭園の石の杭に残っているのを見つけたことがありました。しかしかつて廃仏毀釈のあった時に八坂神社と名称を変えたのです。祭神の須佐男命はかつて牛頭天王(ごずてんのう)と呼ばれていたこともあって、昔は新仏習合の神といわれていて、釈迦の生誕地である祇園精舎の守護神ともいわれていたこともあったのです。須佐男命は別に蘇民将来(そみんしょうらい)説話の武塔天神と同一のようにも言われていて、魔除けのお守りにもなっていますが、かなり厄介な存在だったのですね。その証として四条通りから西楼門を入ったところには、牛頭天王の霊力である「疫神社」が置かれているのはそのためです。

観光旅行のついでに、そんなことも知っていらっしゃると、一層楽しくなるのではありませんか。


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