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☆閑談とちょっと気になる新言霊の部屋☆ 閑16 [趣味・カルチャー]

         「チマタ考 


かつて私たちが暮らしていた日常は、連帯ということが基本になっていましたが、そういう社会常識と言うものは、昨今は時代の変化が激しいこともあって、大きく変化してきました。


昨今は「孤」の時代が浸透してしまったようで、若い人もほとんどはごく少ない友人との交遊という状態で生活しているようです。


そんなこともあるのでしょうか、最近の若い人は「人見知り」傾向で、なかなか新たな人には馴染まないところがあるようなのです。


かつて京都の美大で教鞭を執っていた経験があるのですが、生徒が多くの人と交流している様子があまり見かけられませんでした。


藝術とは言っても、主に映像関係とかイラスト関係に進もうというのであれば、少なくとも人見知りという性格では、多くのアーテイストがかかわる作業には、とても加わることができませんし、多くの人の支持を得てその業界で成功することは出来なくなります。さまざまな人間の喜怒哀楽を知り、人を知らなくては、もの作りに携わることは難しいと思うのですが、人間と出会うことを忌避してしまっていては、はじめからもの作りを拒否してしまうに等しいことになってしまいます。


そこでわたしは入学時に、彼らにこんな言葉を贈りました。


(大学というところは、自分探しの旅をするところだ)


 さまざまな人やものが行き来する賑やかな町の通りを、現代では「巷」と言いますが、昔々人々は、「知未多(ちまた)」という字を当てて呼んでいました。


「未だ知ること多し」とは、言い得て妙だとは思いませんか。


そこへ行けばさまざまな人、さまざまな出来事に出会うこともできるし、


最新の情報も飛び交っています。だから年齢に関係なく、人は「知未多」へ出ていって、世の中と接するということが大変大事な心がけであったのです。


古代も現代もありません。家に篭っているだけでは、時代の流れ、世間の空気と遊離してしまうし、移ろいやすい人の心の動きも、まったく掴めないままになってします。時にはそういった性格のために人に接することを拒否して、得意な世界を作りあげる人もいるにはいましたが、それはあくまでも異例なことです。


やはり若者などは、「知未多」へ出ていって揉まれてくることが、大人になっていく大事な通過儀礼だったのです。時には道を誤ってしまう者も出たりしますが、多少は嫌なことも、裏切られることも、あきれさせられることも経験させられることがあった方が、将来の成長のためにはなるような気がいたします。可愛い子には旅をさせろというのは、こんなところから生まれた言葉なのでしょう。


大学生活も自分探しの旅に出ているようなものです。


いろいろな教授、いろいろな友達とであいながら、これまでとは違った世界を吸収していくところです。


大学という「知未多」も、いつも動いていて、見るもの、聞くこと、試すことが、すべて新鮮で、刺激的で、期待感に満ちたところです。


きっとそんな中で、いち早く自分探しに成功する者もいるでしょう。


反対になかなか見つからずに苦闘する者もいるでしょう。しかし大事なのは、今は真の自分探しの旅に出ているのだということを、決して忘れないということだと思います。


こんな挨拶を送ったことを思い出します。


人と接することに憶病な若者が、一人でも減って欲しいと思っています。


そのためにも、古代の人の残した示唆に富んだ言葉、「知未多」ということを、一人でも多くの人に知って貰いたいと思っているのですが・・・。





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