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☆閑談とちょっと気になる新言霊の部屋☆ 言16 [趣味・カルチャー]

「夢占い」

 「今日は夢見が悪かったな」

 朝起きた時、何だかすっきりとしないことがあります。そしてその日一日、

「どうしてあんな夢を見たんだろうか」

その原因がはっきりとしないまま、何か重苦しい気分で過ごすことがあります。

占いの本に「夢占い」というものがあります。どうしてあんなものを見たのか、その原因がはっきりとしないことが多いのではないでしょうか。それはどうも古代も現代もないようです。それだけに現代のような、ある程度の精度で精神的な解析ができる時代となったとは言っても、なお不可解な部分があります。

超科学時代であってもこのような状態なのですから、まだとても科学というものが存在しない古代ということを考えると、それはある暗示を与えるものとして大事にされてきたことが考えられます。特に為政者たちの関心事は大変なものでしたが、その最高位にある天皇にとっては、権力だけではどうにもならないものが夢の暗示が不気味だったのです。

夢は神々と交信するために人間が見るものなので神々は見ないといわれます。

古事記、日本書紀にでも、夢の記述が出てくるのは初代天皇といわれる神武天皇からでしたが、はじめは巫女による神懸かりの宣託を得るということでしたが、天皇が神託を得るために見た夢は、三十一文字の和歌でお告げがくると言われていました。

やがてはあの聖徳太子も、「夢殿」という夢託を受けるための特別なところを持ったくらいで、夢は自然に見るものではなくて、乞い願って見るものであったのです。

そんなことから、古代の貴族などは、そうした夢から何かお告げを得たいということで、寺社のような聖地がお告げを受け易いということで、京都の清水寺、石山寺、奈良の長谷寺のようなところへ籠って、夢を見ようとしたのでした。

しかし悪い夢を見てしまった時はどうすればいいのかというと、法隆寺にある夢違え観音のように、その観音様に祈れば吉に変えてくれるということで信仰を集めていました。

後の時代になると、その夢の意味することがどんなことなのかを、解析することを商売にする者が現れたり、更にいい夢を見た人から、それを買い取るなどということを考えた者が現れたりするようになってしまいました。大体いつの時代でもそうですが、ここまでくるといい夢見を願う風潮も終わってしまうのでした。

 


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