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☆閑談とちょっと気になる新言霊の部屋☆ 閑18 [趣味・カルチャー]

       

   「出勤風景今昔」


 


 テレビで朝の出勤風景を見ることがあります。


 東京駅などから、人、人、人が、まるで洪水のような勢いで、丸の内を目指して流れていきます。


 思わずご苦労さまと声をかけたくなってしまいますが、一体古代ではどうだったのだろうかと考えてしまうことがあります。


古代の中の大きな王朝といえば、平城宮があげられると思うのですが、農民は別として、王宮の官衙(かんが)で働く官人たちも、現代のサラリーマンと同じように、時間に遅れないように出仕しなくてはなりませんでした。


そのころ平城京には、二十万人という人が住んでいたといいますが、その中の平城宮で働く官人は、高級役人百五十人、中、下級役人五百人、位を持たない下働きがほぼ六千人、宮中の人夫などがほぼ千人、合わせて八千人ぐらいだったといいます。彼らは夜明けとともに作業が始まるので、早朝から丸の内へ向かって出勤する人、人、人という光景に、似たような姿があったのではないかと思います。


上級の官人たちは官衙に近いところに住んでいましたから、かなりゆっくりと出仕できました。特に大臣クラスの高貴な方々は、牛車などに乗って出仕して来ても、日の出前までには間に合いますが、下級の官人たちは官衙から遠いところに住んでいましたから、夜明けまでにやって来るには、まだ夜明けにはほど遠い、きらきらと星が輝いている空を仰ぎながら、出かけて来なくてはなりません。


農民たちも夜明けと共に農作業をはじめますが、もうその頃には官人たちは平城宮の前に着いて、午前三時に門が開くのを待っていたのです。もちろん左大臣、右大臣、大納言、中納言、小納言、参議という、所謂太政官(だじょうかん)と呼ばれる、政治を動かして行く為政者である上級の官人たちも、執務が行われる朝堂院(ちょうどういん)の門が開くには六時半と決まっているので、その南にある朝集殿というところで開門を待っていたのです。もしそれに遅れた時は、朝堂へ入ることは許されません。それでもこうした上級の官人たちは、午前中だけ仕事をして退出して行ってしまいます。


そうなるとこのあとの余暇は、趣味を追及して行ったり、親しい者と交流したり、学術の習得や追究をしたりすることにあてられる余裕も生まれました。しかしこれに対して、下級の官人たちは夜明けから日没まで、せっせと働かなくてはなりませんでした。


どんな時代になっても、下支えをする人たちはかなり大変な努力を強いられるもののようですね。


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