嵯峨天皇現代を斬る その十一の三 [趣味・カルチャー]
第十一章 「落書きの真意を知るために」(三)
課題「衝撃の記憶」
誣告といわれる事件は、おおむねその真相を突き止めることもなく、うやむやになって消滅してしまうことがほとんどでした。訴えといっても、すべてが真実とは言えない時代でした。
為政者・平城天皇
大同二年(八〇七)十月二十八日のこと
発生した問題というのは
平城天皇が即位した頃、祖霊桓武天皇時代から、政庁でその実力を評価されて天皇からも大事にされていた伊予親王は、藤原氏の中で南家に属するために、同じ藤原氏の北家に属する者にとっては邪魔な存在でした。祖霊の死後即位した平城天皇を支える主要な人物でしたが、十月下旬のことです。すっかり注目を浴びる存在となってきていた伊予親王について、突然いやな噂が流れ始めたのです。彼の家人である藤原宗成という者が、親王に対して謀反をそそのかしているということを、伊予の母吉子の兄である、大納言の雄友のところへ密告してきた者がいたというのです。それはただちに右大臣の内麻呂に報告され、それは間もなく帝の耳にも入り、皇太子の神野にも伝えられました。
いつかこんなことが・・・と思っていた不安が、ついに現実のものとなってしまったのです。先帝の足跡を辿る作業の中でも、その時代その時代できわめて重要な存在であった、皇后井上内親王、皇太子他戸親王、早良親王が、疑いをかけられたままそれを晴らす機会も与えられずに、断罪されて悲劇的な死を遂げてしまった前例があるのです。
(伊予親王に危機が・・・)
神野は驚愕で体に震えがきましたが、皇太子が動き回るようなこともできません。
伊予はただちに天皇に釈明をいたしました。
宗城が私に勧めたのは己の立身出世のためであって、私のためでもなんでもないと真摯に釈明をいたしました。しかしそれは認められず、二日後には左近衛府へ捕らわれた宗城が、謀反の首謀者こそは伊予親王その人なのだといいはりつづけたというのですそれを知った天皇は一気に怒りを爆発してしまわれて、皇族で侍従であった中臣王を捕えると、伊予と共に謀をしたのではないかと疑い、厳しい詰問と拷問を指示して取り調べを行わせたのです。容赦なく大杖で打たせつづけさせたために、彼の背中はただれて、ついにはこと切れてしまったといいます。
為政者はどう対処したのか
朝廷は左近衛中将安倍兄雄、左兵衛督巨勢野足と共に百五十人の兵士を送って、伊予の邸を包囲すると、母の吉子ともども逮捕してしまいました。しかし取り調べにあたった兄雄は、帝に対してかなり伊予の潔白を論じたといいます。ところがこれまでの習性で、一度疑いをかけられると、それを覆すことはほとんど叶わないのが通例です。母子は十一月二日に、大和の川原寺へ幽閉されてしまうと、一切の飲食も許されないまま、緊迫した時を過ごした後、十一日には帝が結論を下して事件の関係者の役職を解き、伊予については親王の称号を廃号として、祖霊桓武天皇の陵に報告したというのです。
衝撃的な事件でもあったことから、平城天皇は即位後の大事な儀式である大嘗祭を中止されました。その報告が川原寺へ伝えられた翌日、二人は名誉を守るために、夜明け前に近くの法興寺(飛鳥寺)、橘寺から打ち鳴らされる鐘の音を、この世の別れと聞きながら毒をあおって自害してしまったということでした。
それにしてもあまりにも誣告による訴えから起こる事件が多すぎます。しかもいったん怪しいと思われてしまうと、どう釈明してもそれを払拭することはできなくなり、最後は自らの名誉を守るために自殺するという結末を辿ってしまうことになるのです。現代の問題として取り上げるにはそれなりに意味があるのではないでしょうか。事件の取り調べで冤罪といわれるものもかなりあり、社会の関心も高いのですが、せめて古代のような誣告のために犠牲になるようなことが起こらないようにしたいものです。果たして現代では、このような事件は皆無ということができるのでしょうか。
現代ではもっと巧妙な手立てで、権力を奪う熾烈な戦いが行われているかもしれません。
温故知新(up・to・date)で一言
真相追及の目は閉じてはいけないということです。古代のようにいつの間にか真相追及の声が鎮まり、やがて事件についての関心が消え失せてしまうようなことにはしたくありません。現代でも事件をうやむやにしてしまうようなことがかなりありました。世の中には、「権謀術数」に長けている者がかなり存在しています。口先ではうまいことを言うが、内心では悪い心を抱いている「綿裏包針」という言葉があります。つまり柔らかい綿の裏に鋭い危険な針を包んでおくように、巧みに人を欺くはかりごとが横行しています。しかし「市虎三伝」といって、事実でないことも多くの者が言うと、いつか信じるようになってしまうもののようです。そんな加害者にならないという自信を持って生きて貰いたいものです。
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