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☆閑談とちょっと気になる新言霊の部屋☆ 閑9 [趣味・カルチャー]

「陰謀!ウンナフカの夜」

 古代でも現代でも、月夜にはさまざまな事件が起こるようです。

 どうやら月には特別な事件があるようで、満月の夜にはその霊威の影響で、西洋では狼男に変身してしまったり、吸血鬼ドラキュラが暗躍したりということがあったようですが、日本では歌垣(うたがき)というような、男女の出会いの狂宴とも言えるものが開かれたり、那智の港からは観音菩薩の聖地である補陀落を目指して渡海が行われたりと、月夜に関しては人間たちの気持ちを高ぶらせ、狂わせてしまうような奇異な現象が見受けられます。

ところが月の出ない新月の夜にも、不可思議なことが行われていたことを発見しました。

 舞台となったのは、南国の沖縄から更に三百キロ離れたところにある宮古島です。ここにはかねてから海賊が拠点を持っていて、中国の王朝から貴族を通して取引された陶磁器・・・絶対に王朝以外の者が持つことを許されないはずの、黄磁も持ち込まれていた形跡があるのです。

 普通はそのような者が活動できるわけはないはずですが、長いこと非合法なことができたのかというと、案の定そこには隠された真相があったのです。

 海賊が持ち込んだものはいろいろなものがありましたが、その中でも注目されたのは、中国王朝が門外不出といわれていた黄磁です。そのようなものを、宮古島の者が持てるわけはありません。しかし駄目だと言われると欲しくなるのも人間の欲望というものです。庶民には経済的にも手を出せるものではありません。

 結局、そこに登場してくるのが、宮古の政庁を取り仕切る権力者です。

 彼らは海賊と取引をするなどということを、とても公には出来ません。

 そこで考えられたのが、ウンナフカの夜という新月の夜の出来事だったのです。

 政庁の支配者は新月の暗い夜を利用して、ある噂を流布しました。

 つまりこの夜は、神が島へ降臨して、密かに田畑に実りをもたらしてくれるのだというのです。それ故にその神の作業は、絶対に見てはならないということでした。その日は明かりもつけてはならず、暗黒のまま家に閉じこもったままでいなくてはならないというというお触れを出しました。

 もう察しがつくでしょう。

 誰も見ていない暗黒を利用して、権力者と海賊は取引を行ったのです。こんなことでもなかったら、海賊がいつまでも、島に拠点を構えていられるはずはありませんからね。

 不可思議な現象については、何か訳があるかもしれません。

その真相を突き止めようという気持ちは、いつの時代でも忘れてはならないことかもしれません。


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閑話 嵯峨天皇現代を斬る その三の四 [趣味・カルチャー]

      第三章「時代の変化に堪えるために」()    


        為政者の課題・「政治は時代によって変わるべき」


今回は弘仁十四年(八二三)のことです。


嵯峨天皇は在位十五年になるからと言って、同じ桓武天皇の第三皇子である大伴親王(おおともしんのう)に譲位されてから八年にもなります。つまり淳和天皇として政庁をまかされていたのです。


 このところ天皇の践祚(せんそ)とそれにまつわる神事が続いたために、その影響を受けて、民は疲れていましたので、政庁も、これ以上民に負担が及ばないようにという配慮から、すべての行事は簡素にして済ませてきていたのです。


天皇も農民たちの苦労を考えて、大嘗祭にあまり費用を掛けないようにしたのですが、神を大事にしないと、受け止められなかっただろうかと心配になります。


そんな暮れ近くのことです。


 


為政者・淳和天皇(じゅんなてんのう)


弘仁十四年(八二三)十月二十一日のこと


発生した問題とは


このところ日照りがつづいていて、全てが乾燥しきっていたある日の夜のことです。


内裏の延政門の北側の舎殿で火災が起こって、宮中の警護に当たる左近衛の者が駆け付けて、やっと湿布で火元を叩きつけて消火するという緊迫した経験をいたしました。ところがそれからそれほど時もたたない日の午後十時ごろには、またまた大蔵省の十四間(じゅうよんけん)長殿(ながどの)に失火があったのです。


葛原(くずはら)親王をはじめ右衛門督(うえもんのかみ)紀百継(きのももつぐ)左大弁(さだいべん)直世(なおよ)王、右大弁(うだいべん)伴国道(とものくにみち)などという官人が駆けつけて消火に当たり、さらに左右衛府の者が京の左右を駆け巡って、人足を集めたりいたしました。しかし結局消火は出来ずに盛んに炎を上げて殿舎は崩れ落ちてしまったといいます。


それでも勇敢な三十人ばかりの者は北長殿(ながどの)に登って、濡らした幕で火を打ち消したといいます。


何といっても長い日照りのために、家屋も乾燥しきっているので、こうした災害はどうしても起こってしまいます。(日本後記逸文)


 天皇は即位からたいして日もたたない十一月のある日のこと、大蔵省を巡視していた舎人たちが、官衙(かんが)から火が出ていると叫び、左右大弁(だいべん)たちが駆付けつけて鎮火に当たりました。ところがそんな騒ぎの最中に、蔵へ入って物を盗み出そうとしている者がいたというのです。


犯人は優婆塞(うばそく)三人、蔵部(くらべ)一人でした。


彼らは蔵部の手引きで長殿舎へ入り込み、炭火を持った者が長押(なげし)へ点火して火事を起こすと、一見消火をしているふりをして盗みをしていたというのです。


先月起こった火災も、彼らの放火であったということが判りました。


寒さも厳しくなるころですから、雪も降り、それでなくても夜は出火しやすい環境にあるために、暖房のために使われる、桐の木などをくりぬいて作られる火桶(ひおけ)や、灯明の燭台などが原因で火災になることが起こります。


騒ぎのたびに官人たちはもちろんのこと、民、農民たちは、非常に不安な気持ちにさせられる冬でした。即位したばかりの天皇にとっては、それから間もなく地震にも見舞われてしまったのでした。


 為政者はどう対処したのか


 流石に天皇は安閑とはしてられません。十二月には、


「古の王者は天命を受けて治政に当たった。政治は時代により変化し同一ではないが、人民を教化して治政を行い、模範を示して教え導くことに古今を通じて相違はない。近ごろ陰陽が乱れて干害(かんがい)と疾病が入り混じって発生し、穀物は実らず人民が衰亡している。


朕は、巡り合わせで皇位に就き天皇としての事業を受け継ぎ、永く善政を布こうと思い寝食を忘れ務めている。世を救う方法は守旧であってはならない。時宜に従うべきであり一つのことに囚われていてよいであろうか。


今、朕は務めて世を救い、民の苦しみに(あわれ)みをかけようと思う。()(ぎょう)は各自が隠し憚ることなく考えを述べ、朕の及ばないところを正せ。現在、世は軽薄で、国家は衰退している。礼服を準備するのが困難な状態で、朝賀も欠くことが多い。凶年が続いている間は、朝服の着用は停止しようと思う。これについて公卿が議定して奏上せよ」(日本後紀)


 臣下の苦しみについて気配りをするのでした。


 大雪が降り、地震も起こります。


 天皇は礼服について公卿に意見を求めました。それに対する返答はこうでした。


 「人民を恵み育てる天地の徳を身に付けているのは聖人であり、運行する日月と同様に明るく輝いているのは天子です。伏して思いますに、陛下は天地の徳を身につけて皇位に就いて治政に当たられ、内外に広く仁愛を及ぼされて、よく治まったお陰で、身分の低い者も高い者も安楽に暮らしています。しかし充分に和らぎ楽しむに至ってはいないことを慮り、率直な諫言を求めました。私たちは才智や能力を書きながら、辱雲高い地位に織り、陛下のご意志に沿うことが出来ず、深く恐れ恥じ入るばかりですが愚かながら考えるところを申し上げます。礼服は詔旨により停止すべきです。ただし皇太子・参議・非参議三位以上の者および格別の任務につく者らは、従来通り着用すべきです」(日本後紀)


 桓武、平城、嵯峨とつづいた王朝も、ついに四代目の淳和天皇の為政となりましたが、その間に時代は刻々と変わりつつあります。そんな時の政庁としてはどうするべきなのでしょうか。そしてそうした時代の激しい変わり目を迎える現代の人間として、我々はどう生きるべきなのでしょうか。


 目下のところ保守党の一強時代です。そろそろお互いの政策を競う合うような政党・・・つまり野党が誕生しないだろうかと思うのです。野党に保守党並みの力がある政党が誕生しないままだと、現在のような無風時代をつづけることになります。いつまでもこのままでは、何度も選挙を繰り返しても、結果的には何も期待する希望は生まれません。もう何年もの間、保守を振るい上がらせるような


実力のある野党が誕生してこないのが現状です。


かつては政界も大いに揺れた時代がありました。私たち高齢の者は経験していましたが、結果としては結局慌てて無理矢理結束したという速成が禍いとなって、期待された革新政権は、短期の内にもろくも崩れてしまいました。


野党はこれまでとは違った、新たな姿で成長していくことが出ないまま、今日の姿となっているのです。その間に日本を取り巻く環境は極めて厳しいものになってきています。


この激動する時代を、どうしようとしているのでしょうか、それは決して為政者の問題でもありませんし、国民の問題でもあるのです。しかし今のところ未来を目指していくという動きにはなっていないように思います。


 そんな日本を無視する状態で、世界各国は着実に新たな方向を固めて動き始めています。ぼんやりとしていると、知らないうちに時代の様相が変わってしまうのが現代です。竜宮から帰った浦島太郎になってしまったらどうしますか。


温故知新(up・to・date)でひと言


古来「刻舟求剣(こくしゅうきゅうけん)という言葉があります。


つまり時の移り変わりを知らず、古い習慣ややり方などに拘泥したりしていて、これまでのことに固執して融通の利かない状態でいると、取り返しがつかなくなってしまうということです。組織を率いる人であったら尚更のことです。全てに手落ちのないように、「先著万端(せんちょばんたん)です。雑多な事柄すべてにわたって、たとえどう忙しくても、手落ちのないように心がけなくてはなりません。「先方百計(せんぽうひゃっけい)が大事です。あれこれと工夫を巡らして思い諮らなくてはなりません。天皇は世の中激しい移り変わりをいう言葉ですが、新たな時代に向かって生きることを決意しますが、現代を生きようとする者は、仮にどんなに困難なことがつづいても、それを乗り越えて新たな時代に取り組んで貰いたいものですね。



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