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☆閑談とちょっと気になる新言霊の部屋☆ 閑28 [趣味・カルチャー]

   「打ち上げ」

 わたしたち映像にかかわる作業にかかわる人にとっては、わりによく知られている言葉ですが、「番組の打ち上げを行いますから、出席して下さい」などという案内状の連絡が送られてくることがあります。また出版関係でも、何人もの人が関係したドキュメント作品などが一冊の本として完成した時など、関係するみなさんに連歌あって、仲間のみなさんと気休めの宴会となるという時などに使われるのが、「打ち上げ」という言葉です。

 言うまでもなく花火を打ち上げようという話ではありません。

 われわれ映像関係者、芸能関係者、出版関係者だけでなく、いわゆる実業界といわれるサラリマンの世界でも、ある企画や事業がまとまったり、その準備が整ったりした時などには、「さ、みんなでパーッと打ち上げでもしましょう」などと景気づけをすることがあります。

 昔は長唄のお囃子で、途中で太鼓の囃子を入れて一段と調子を高めて、お囃子に一段落つけようということだったといいます。

 花火だと打ち上げがあると、必ず「たまや!」「かぎや!」という囃す言葉が叫ばれて、雰囲気を活気立ててくれるのですが、通常の「打ち上げ」ではほとんど、あるところまで時間が経過したところで、中締めといって、一旦参加者一同で手締めを行って宴会の終了をしたことにして、用事のない人はゆっくりと宴会の残り香を楽しんで帰ることになっています。

 昨今は予算のこともあって、あまり派手な「打ち上げ」は聞きませんね。


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嵯峨天皇現代を斬る その九の五 [趣味・カルチャー]

       第九章「人間関係をうまくやるために」(五)


         為政者の課題・「上を削り下を優遇する」


弘仁十一年(八二〇)嵯峨天皇にとっては、大変気持ちの良い新年をお迎えになられました。


この年は新年早々大極殿へ出御された天皇は、臣下からお祝いのご挨拶を受けられると、その後政庁を支える侍臣と豊楽殿で宴を催されました。


そこで天皇は、これまでとは一寸気分の違った挨拶を行いました。


「周では公旦(こうたん)が周朝の基礎固めを褒賞されて、その子孫が七枝族に分かれて栄え、漢では蕭何(しょうが)が功績をあげて礼遇され、一門から十人もの諸侯が出ている。藤原氏の先祖(鎌足)は、朝廷から悪人を追い払った。(大化改新で蘇我入鹿(そがのいるか)を殺したこと)(略)これにより歴代絶えることなく褒賞の封戸を支給され、総計一万五千戸となっている。(略)藤原氏の者は白丁(はくちょう)となった以降も五世までは課税を免除し、これを代々の例とよ」(日本後紀)


その後は踏歌を行い、群臣、渤海国の使節と共に宴を催した。


その時公卿が次のようなことを申し出ました。


掃部(かにもり)内掃部(うちのかにもり)二司は異なる役所ですが、所掌(しょしょう)は共に座席の設営場度です。しかし公会や臨時に座席を設ける時に、両者がお互いに譲り合って、ややもすると、事がなされないしまつです。それだけでなく、所掌が少ないのに官司が多いのは穏やかではありません。私たちが検討しますに、優れた過去の王者は政治を簡素化する手本を示し、昔の賢者は時勢に合わせた改革を重視しました。伏して、両者を合わせて一司西掃部寮として、宮内省の被官とし、職務を遂行させ無駄を省くことを要望します。掃部寮の官員は主殿寮(とものりょう)と同じにしたいと思います。伏して、陛下の祭壇を仰ぎます」(日本後紀)


これは現代の話ではありません。平安時代のことですが、前年とはいささか違った気分で迎えた新年の行事が行わている最中で、天皇の気分も高揚している時を計って、公卿は官人の改革を訴えました。


今年は天皇も去年の収穫がよかったことから、大変気持ちが高揚しております。公卿たちの訴えも、それを許可いたしました。


正月早々に渤海国からの使節も迎えています。


為政者・嵯峨天皇


弘仁十一年(八二〇)四月七日のこと


発生した問題とは


天皇は「上の者の利益を削り、下の民を優遇すれば、民の喜びは限りないとなる」という大胆な発想を生み出したのです。


 神仏への信仰心の篤い天皇は、いつでも天に恥じない姿勢を保とうとしていらっしゃいます。宮中ではそれでなくとも、行わなくてはならない儀式がたくさんあります。その年の始まりの二月には、こんなことをおっしゃいました。


「朕が大小の神事を行ったり、十二月に諸陵へ荷前(のざき)奉幣(ほうべい)をするときは、帛衣(はくい)(帛で作った祭服)を着用しよう正月にと思う。朝賀を受ける時は袞冕(こんべん)十二章(天皇の礼服)を着用しようと思う。月の一日の視告朔(こううさく)・日々の聴政・外国使節の接受・奉幣および大小の会式には、黄櫨染衣(こうろぜんのい)を着用しようと思う。皇后は天皇の行う神事を補佐するときは帛衣を着し、□衣を朝賀の時の服とし、大小の会式では鈿釵(でんさい)礼衣(らいい)(飾りのついた礼服)を着用せよ。皇太子は天皇の神事に従う時と正月朝賀の際には袞冕九章(こんべんきゅうしょう)(皇太子の礼服)を着用するがよい。毎月一日と十五日の参内や元日に群臣や宮臣(きゅうしん)の朝賀を受ける時、および大小の会式では黄丹色(おおにのい)を着用せよ。日常の服制は本日の決定に拘束されなくてよい」(日本後紀)


為政に対して真摯な取り組みの姿勢は、このようなところにもあるのではないかと思われるのですが、兎に角民のために尽くそうという気持ちは、如何なる時にも発揮されるようでした。


 「遠江(とおとうみ)駿河(するが)両国に移配した新羅人(しらぎじん)七百人が反乱を起こし、人民を殺害して屋舎を焼いた。両国では兵士を動員して攻撃したが、制圧することができなかった。属は伊豆国の穀を盗み、船に乗って海上に出たが、相模(さがみ)武蔵など七国が兵士を動員して力を併せて追悼した結果、全員が降伏した。


 若いのに唐国の歴史にも通じる、教養の深さと才気を発揮されて、思わぬ発想をされる文人政治家である天皇は、気分も新たになった四月の朝議の折には、このようなことをおっしゃったのです。


 「上の者の利益を削り、下の民を優遇すれば、民の喜びは限りないとなる。恩徳を施して自らを責めるのは、王者の政治が重視するところである。ところで、最近天候が調和せず、穀物が実らず、家々に貯えがなく、人民は栄養不足で顔色の悪い状態である。一日の飢えは秋三月の飢えに相当する。顧みてこれを思うと、心中深く憐みの気持ちを抱く」(日本後紀)


そして七道諸国の介(すけ)をもって、夷俘(いふ)のことを担当する専当官としたのです。天皇はさまざまな税の免除を指示されるのでした。


 これには政庁の公卿たちもびっくりしたようです。


為政者はどう対処したのか


 天皇は更にこうおっしゃいました。


弘仁八年、九年には水害・旱害があり、穀物が稔らず、官の倉庫もしだいに空尽化してしまった。公卿の議奏により、しばらくの間五位以上の者の俸禄の四分の一を割き、公用に充てることにしたが、現在、五穀がよく稔り、国の支出を支えることが可能である。封禄等の数を旧例に戻すべきである。


この話は第九章「人間関係をうまくやるために」「その四」「心の持ち方で人生が決まる」の閑談の中に詳しく触れていますのでご覧いただきたいと思います。


 それに対して公卿たちが申し上げました。


 「臣らが議定して削減した封禄を、みな恩旨により旧例に復することになりました。伏して、陛下の御前も同様に常例に復しますことを要望いたします」(日本後紀)


 豊作であった年は豊作であったことに相応しい施策をしようと考えられたのでしょう。天皇は次のようなことを提案されました。


 「針生五人を置き、『新修 本草経』『明同堂経』『劉涓子鬼方』各一部に、『少公』『集験』『千金』『広洛方』等の病気や傷の治療法について学習させ四。特に月料を支給して、学業が成就するようにせよ」(日本後紀)


「百歳以上の者に斛四斛、九十歳以上の者に三斛、八十歳以上の者に二斛、七十歳以上の者に一斛を賜うべきである。国司の次官以上が村々を巡行して親しくみずから与えよ」(日本後紀 


 兎に角、今、稲穂が垂れ下がり、豊年になろうとしている。風水害により、被害の出ることが心配なので、秋稼ぎ


が心配なので、秋稼を祈願して名神に奉幣すべきである。


 山城(やましろ)美濃(みの)若狭(わかさ)能登(のと)出雲(いずも)の国が飢饉となった。『倉庫の貯えが尽き、恵み与えようにも物がないので、無利子の貸付を行い、百姓の窮迫を救うべきである。貸付額は(しん)(ごう)(貧民にほどこして賑わすこと)の例に准ぜよ』(日本後紀)


 確かに追い込まれるといい知恵も出なくなってしまうことがよくいわれます。どうもこんな時は古代も現代もないように思われます。


 収穫に期待できる時には、施策にもいい知恵がひらめくことのなるのかも知れません。


 事情はそれぞれ違った場合があると思うのですが、追い込まれた時ほど落ち着いて、じっくり打開策を考えるべきですが、その前にそこまで追い込まれないような策を考えておかなくてはなりません。それにしても組織を統括する者は、嵯峨天皇のような思い切った策を決断できるかどうかということは考えておかなくてはならないでしょう。人の考えないことに挑んで行く勇気が必要です。


温故知新(up・to・date)でひと言


 人の頂点に立つ器量を持っている人だったら、「目食耳視(もくしょくじし)といって、見栄えのする御馳走を並べて目を喜ばせ、衣裳を着飾って美しく装い、人の評判を耳にして楽しむようなことを控えて、「一視同仁(いっしどうじん)つまりだれかれの区別をせずにみな平等に愛し扱おうという姿勢であることが大事です。きっとそういう姿勢を貫こうとする人には、「股肱之臣(ここうのしん)といって、主君の手足となって働く家来。つまり行動、運動の根幹をなす手となり、足となる臣下が集まってくるはずです。真に苦しむ者を救うために尽そうとする姿勢が見えれば、それに共感してついて来る同志も沢山集まってくるはずです。



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☆閑談とちょっと気になる新言霊の部屋☆ 言27 [趣味・カルチャー]

「ゲンノショウコ」

 昔はよく聞いた言葉でした。

 子供が下痢などして一寸お腹の具合がよくないなどというと、近くの世話好きの小母さんは「ゲンノショウコ、ゲンノショウコ」などと言ってなんでも聞くからと言って薬草を煎じた飲み物を持って来てくれた記憶があります。

 このゲンノショウコなどというものは、結構土手の道端などにはえていたようでしたから、子供同士で遊んでいる時なども見つけたりしていたような気がするのですが・・・。

 兎に角よく利くというので、昔は「医者いらず」とか「医者たおし」などともいわれていたようですが、その。名前の由来にしても、兎に角ゲンノショウコがよく利くので、一寸した時の庶民の手当の智識として広がっていたのでしょう。そんなことから通称ゲンノショウコを当て字にして、「現の証拠」などと言われるようになったといわれています。

 ただ現代ではどうでしょうか。


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嵯峨天皇現代を斬る その九の四 [趣味・カルチャー]

       第九章「人間関係をうまくやるために」(四)


         課題「心の持ち方で人生が決まる」


 最近地震が起こり被害が人民に及んでいる。吉凶は人の善悪に感応して、天がもたらすものであり、朕の言葉が理に背き、民心が離れてしまっているのではあるまいか・・・。


為政者・嵯峨天皇


弘仁九年(八一八 


発生した問題とは


去年は旱魃で秋の収穫が損われ、現在は日照りで田植えを行うことができなくなってしまったことから、嵯峨天皇は自らの不徳のせいだと、天の下す罰を恐れて内裏正殿を避けて謹慎し、使人を手分けして派遣して群神に奉幣しようと思っていらっしゃいます。天皇と皇后の使用する物品、および常の食膳等は、いずれも削減すべきであると指示していらっしゃいます。そして左右京職に指示して道路上の餓死者を収めて埋葬し、飢え苦しむ者には特に物を恵み与えよともおっしゃいます。不順な天候が続き、雨期なのに日照りが十日にもなっているのです。


 そんなところへまた地震が起こります。


天皇は次第に追いつめられています。


 第二章「安穏な暮らしを保つために」その二「為政者として心掛けること」というお話の中で、すでに紹介しましたが、嵯峨天皇の心情を端的に表明していると思われる史実の記録を、もう一度披露しておきます。


 「天命を受けて皇位に就く者は、民を愛することを大切にし、皇位にある者は物を済うことを何より重視し立派な精神を践み行う者である。朕は日暮れ時まで政務に従い、よる遅くなっても寝ずに務めているが、ものの本性を解明するに至らず、朕の誠意では点を動かすことができず、充分な調和を達成できないまま、悪徴がしきりに出現している。最近、地震が起こり、被害が人民に及んでいる。吉凶は人の善悪に感応して、天がもたらすものであり、災害はひとりでに起こるものではない。恐らくは朕の言葉が理に背き、民心が離れてしまっているのではあるまいか。朕は天が下す刑罰をおそれ、心が休まらない」(日本後記)


 天皇の気持ちはどうあろうと、人民としては安定しない気象状況にはかなり苦しめられています。


 「常陸の国では去年十一月の格に決められている法によって夷俘に支給した口分田は六年後から租を徴収することになりましたが、彼らは手厚い恩恵に浴しているとはいえ、貧しいので、伏して、しばらくの間田租を免除して優遇することを要望いたします」(日本後記)


そうかと思うと陸奥国からはこのようなことが報告されます。


 「反乱を起こした俘囚吉弥侯部於夜志閉らの仲間六十一人を捕らえましたので、慣例に従い身柄を進上すべきですが、犬羊のようなつまらない彼らであっても、なお、家族のことを思っていますので、伏して、城下に留めおき、その妻子を呼び寄せることを要望します」(日本後記)


というのです。


天皇はすべて望む通りに許しました。


 「朕は才能がないのに、謹んで皇位につき、民を撫育しようとの気持ちは、わずかの間も忘れたことはない。しかし徳化は及ばず、生気は盛んにならず、ここに至りはなはだしい咎めの徴が下されてしまった。聞くところによると、『上野國(かずさのくに)等の地域では、地震による災害で、洪水が次々と起こり、人も物も失われている』という。天は広大で人が語れるものではないが、もとより政治に欠陥があるため、この咎めをもたらしたのである。これによる人民の苦悩は朕の責任であり、徳が薄く、厚かましいみずからを天下に恥じる次第である。静かに今回の咎のことを思うと、まことに悲しみ痛む気持ちが起こって民が危険な状態にあるとき、君一人安楽に過ごし、子が嘆いているとき、父が何も心配しないようなことがあろうか。そこで、使者を派遣して慰問しようと思う。地震や水害により住居や正業を失った者には、使者らが現地の役人と調査したうえで、今年の祖調を免除し、公民・俘囚を問うことなく、正税を財源に恵み与え、建物の修復を援助し、飢えと露宿(ろしゅく)生活を免れるようにせよ。圧死者は速やかに収め葬り、できるだけ慈しみ恵みを垂れる気持ちで接し、朕の人民を思う気持に副()うようにせよ」(日本後紀)


 


為政者の対応つい鬱積しがちな気分を開放しようとされた帝は、嵯峨別院へ行かれたり、神泉苑へ出かけられたりされるのですが、従った重臣達に、こんなことをおっしゃるのです。


 「天命を受けて皇位に就く者は、民を愛することを大切にし、皇位にある者は物を済(すく)うことを何より重視し立派な精神を践()み行う者である。朕は日暮れ時まで政務に従い、夜遅くなっても寝ずに努めているが、ものの本性を解明するに至らず、朕の誠意では天を動かすことができず、充分な調和を達成できないまま、悪い徴(しるし)がしきりに出現している。最近、地震が起こり、被害が人民に及んでいる。吉凶は人の善悪に感応して、天がもたらすものであり、災害はひとりでに起こるものではない。恐らくは朕の言葉が理に背き、民心が離れてしまっているのではあるまいか。朕は天が下す刑罰を恐れ、心が安まらない」(日本後紀)


 各地では農民たちが中心になって、空海の作った、呪力の籠った言霊である「雨を喜ぶ歌」(精霊集)を神仏に捧げて歌い、箕(みの)や笠をつけて雨乞いの踊りを神仏に捧げています。そんな時でした。天皇は空海に講和を依頼するのです。


「あやまちを犯すものは暗い迷いの心をもち、福をなすものは明るいさとりの心をもつ。明るさと暗さは一つにはならない。迷いの心の強いときは、さとりの心は弱く、さとりの心の強いときは、迷いの心は弱い。さとりの知恵が強ければ、あらゆる徳が完成し、愚かな迷いにより、さとりの心が弱ければ、あらゆる災禍が侵してくる。この主旨を充分理解しているのは、わが師釈尊のいわれる全智というものである。伏して思うに、わが皇帝陛下は、安定した心と、深い知恵を身につけられ、知恵と、慈悲の心が、その胸中にあふれておられる。自らの足を、この汚れた世に踏み入れられ、その手をあらゆる生ある者のためにさしのべられ、この世の万民の父とし、あらゆる国の母となっておられる。堯の子の丹朱は不詳の子であって、釈尊の子善星は、凶暴であった。そのように、万民は愚かであって罪深く、旱魃、疫病と、病がいたるところに起こっている。この塗炭の苦しみをあわれまれて、尊い御身を屈して仏を請かれた。心を清らかな香りのように洗いきよめ、身体を花のようにつつしみ深くされた。多くの僧は思いを凝らして、「大般若経」を転読し、三つの解脱の教えに思いを深めた。なにとぞ願わくば、すべての災禍も、空の一字によって、万民の悪業を融かし去って、すべての存在は仮のものにすぎぬという、人無我、法無我の二つの道理によって、わが大王に幸せを多くもたらせたまえ。風雨が激しく吹き降らずとも、恵みの水は田にあふれ、柳の枝を用いずとも、疫病はすべてほろびるようにさせたまえ。上御一人は、苦しみにただよわせられることなく、下、万民も何事もなく安んじさせたまえ。五種の天神、八道の神々、ともに法のめぐみを浴びて、ひとしくさとりの道へ登らせたら」(性霊集)


これは天皇だけではなく、現代の我々にとっても、心の支えとしておいてもいいのではないでしょうか。


温故知新(up・to・date 


 なにか一人ぼっちを感じたりしている人の心の支えとして、秘かに胸に秘めていてもいいのではありませんか。古くから


和光同塵(わこうどうじん)」という言葉があります。賢人が自分の才智を目立たないようにして、俗塵にまみれ世間一般の常識に従うことも大切だと心得ておきましょうということです。これが誠の知恵ではないかということなのです。矢鱈に知識や博学をひけらかすことがいい時代に思えてしまうのですが、善悪を心にとどめて、「体元居正(たいげんきょせい)」正しい立場に身をおいていることが大事です。「精神一到(せいしんいっとう)」でいきましょう。つまり精神を集中して事にあたれば、どんな難事でも成し遂げることができるように思えます。余計なことに気を散らしている余裕はありません。



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