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☆閑談とちょっと気になる新言霊の部屋☆ 閑11 [趣味・カルチャー]

「畏怖と恐怖の谷間」

 流行というものが作られるということを、つくづく考えることがあります。何かをきっかけにして、一気に広がっていくためにはそれなりに必要なものがあります。そのきっかけとなるのに必要なものは、起爆剤・・・つまり関心を呼び起こす素材がなくてはなりません。そしてそのあとには、それが更に大きな爆発にしていくための誘発剤・・・大きな組織や資金が必要になることがあります。つまり動き始めた気分的なものを更にその気にさせるようなものです。そうした努力と投資を積み重ねて、市民の関心を高め、口から口を通してその裾野を広げていくかということが、もっとも大事なことになります。

 今回取り上げたいのは、ただの「流行」ということではありません。

私たちはいつもこの「流行」ということで揺さぶられつづけていますが、

かつて社会的な現象になった「朝シャン」というものがありました。特に若者を中心にして大流行したことです。企業が仕掛けたことはあったのですが、それまで化粧などして学校へ行くなどということがなかった若者に火が付て、大ブームとなって広がりました。今ではそんなことが一般的に行われるようになったのか、特別騒がれることがなくなりましたが、あの時は大手の化粧品会社が宣伝機関を使って仕掛けた流行でした。

 まぁ、特にファッション、化粧品などに関しては、アパレル産業が仕掛けて流行を作り出すことはよく知られていますが、どうも流行とか風潮などと言うものは、確かにある仕掛けがあって、うねらせることができます。

 昨今のように、いろいろなものに国境がなくなってきていると、或る国で起こった風潮が、そのまま日本へも入って来て、その時代の気分とフィットしてしまうということが起こりやすくなっていきます。

そんなことの一つに、恐怖物とその周辺の推理物の流行というものがあるのではないでしょうか。出版物の不調ということが言われていますが、心理的に不安な時代にぴったりとフィットしてしまって、映像も小説もそういった類のものが好まれているようです。これは私たちの世代がまだ若かったころからの流行り物で、この十数年は同じようなものがつづいているようです。

 かつて拙作「宇宙皇子」が出版されたのをきっかけにして、古代史ブームが何年もつづきましたが、今は所謂ホラーと推理物が生きているようですね。私はそういった類のものはあまり好きではないのですが、それだけ時代が複雑になり、厳しくなって、心理的にもゆったりとはしていられなくなったことが原因でしょう。お笑いブームもそろそろ限界を感じます。

多分、それまでゆったりとした生活を支えてきた、経済的なバブルが崩壊したり、時代の風潮で家族が崩壊したりといった、生活の根底を支えてきたものが、みるみるうちに崩れていってしまうといった、時代の転換期でもあります。

現実を見つめるということは大事だと考えるのですが、その不安に便乗して恐怖をあおるようなものは好きではありませんので、そういった作品はほとんど書いたことはありません。まだそれらをその人の楽しみだと割り切って捉えている範囲ではまったく問題ないのですが、世の中にはすぐに便乗する輩が登場してきます。模倣する軽薄な輩も登場します。人を恐怖に陥れると言うことが、実際には起こってもらいたくないことです。そこで私が敢えて訴えたいものがあります。

同じようなおそれということなのですが、所謂恐怖とはまったく異質な「畏怖」というものを思い出して欲しいのです。

この「おそれ」には、敬うという意味が含まれていますが、前述の「おそれ」というものには、「敬う」という要素はありません。

 この敬い恐れる対象物は何なのでしょうか。その代表的な存在はといえば、「神」という存在です。しかしそういった絶対的なものの存在が薄れていったときから、どうも社会道徳も、倫理観も薄れてしまって、人を恐怖に陥れるような事件が頻繁に起こるようになったのではないかと思ったりするのです。かつては絶対的な存在で、侵しがたい存在であった「神」というものが、現代ではただ単に信仰の対象物であって、信仰と関係のないものにとっては、まったく無関心といったものに変ってしまいました。

 「神」に咎められ、裁かれ、罰を科せられるという「恐怖」も、まったくなくなってしまいました。

現代にはそういった、超自然的な存在が存在しなくなってしまったのでしょう。それと同時に、人間関係においても、その人の前では絶対的に圧倒されてしまって、言葉も容易に発せられなくなってしまうという人は、ほとんどいなくなってしまいました。つまり「畏怖」ということが当てはまる存在が、ほとんどなくなってしまったということです。

 そういったものを失ってしまった人々は、人工的に生み出される「恐怖」というもので、面白がっています。

 果たしてそんなことでいいのでしょうか・・・。

 「神」にひれ伏すような謙虚さというものを失った人間たちは、傲慢不遜に生きるばかりです。人が人を恐怖に駆り立てるような事件が続発しています。それは絶対に、「恐怖」でなく、「畏怖」する存在を失ってしまったからです。

 神を信仰せよなどということは言いませんが、少なくともその人・・・またはある存在の前では、思わず頭を下げざるを得なくなるような畏れ多い人、畏れ多いものを持っていたいものです。

もしそういった人が増えていってくれたら、少しは謙虚さが甦ってくるし、自分勝手に振舞う事件は起こらなくなるだろうし、被害者も出ないですむかもしれないと思うのです。


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閑話 嵯峨天皇現代を斬る その四の二 [趣味・カルチャー]

      第四章「隠れた事情を突き止めるために」(二)


        為政者の課題・「皇室費用削減は真剣か」


弘仁六年(八一五)のことです。


 既に前回で話題に取り上げましたが、昨年五月八日の朝議が行われた時、平城(へいぜい)太上天皇時代から受けついたことの負担があった上に、地震という予期せぬ天災の影響があり、時には旱魃(かんばつ)のために命を失う者も多く、その処置が行き届かないことから、使者を葬ることも出来ずに発生する疫病との戦いにも、神経を尖らせなくてはなりませんでした。


国の財政状態が極めて困難な状態になってきているのを知った天皇は、その財政負担に宮廷維持費がかなりかかわっているということを知って、近親の公卿たちも予想しない決断を発表いたしました。天皇のお子様たちを臣籍降下するという申し出をされたのです。


前回第四章「隠れたっ場を突き止めるために」「その四-一」「財政悪化で臣籍降下」という閑談でそのきっかけについての説明をいたしましたが、あまりにも突然の発表で、一瞬公卿たちも信じられないという様子でしたが、天皇はその決心がただの思いつきではないということを伝えた後で、その決断を直ちに実行するとおっしゃいました。公卿たちの中には、天皇が新たな派閥を作るのではないかという、疑念を抱かせたほど、大胆な決断でびっくりさせました。しかし天皇の御子にかかる維持費だけでも、その数が多かった分だけかなり膨大になるのです。国の財政の危機から脱出させるためには、かなり助かる決断でした。


発生した問題と


 天皇の決断が決行されることになった結果、親王・皇女たちであったお子様たちは、これから貴族として存在しつづけることにはなりましたが、暮らしは自らの工夫で、かかる費用を生み出さなくてはならなくなったのです。


 確かに親王と姫君の数だけでも、祖霊の桓武天皇を越える数です。それを維持するには、平穏な自然に恵まれた状態で、収穫が確実に満たされている時は、国の財政譲許を圧迫させてしまうということもないまま過ごせるのですが、この数年の情況を考えると、とても容易な数ではありません。しかしそれでも自らの身を斬る形でひっ迫する財政問題を解消しようということを実践したことは公卿たちも驚愕いたしましたが、恐らく現代ではただ更に国債を上乗せして発行して、借金を積み上げていくだけでしょう。とても自らの身を斬るなどということは、聞いたこともありません。


 よく国会の議論の中では、提出した議案を実行するには身を切るような思いでこれまで提出していた議案を引き下げるというようなことを言ったりしますが、口先では歯切れのいいことを言っても、結局それを断行して見せるというようなことは一度もありませんでした。


 その点では、嵯峨天皇の決断は、かなり思い切った決断をしたことになります。しかしそれが間違いなく実行されるかどうかは、周辺の者にとっても関心事ではありました。


あれから一年が経過しました。


 国の財政は極めて苦しいことになったのに対して、天皇は、御子たちの臣籍降下という、思いきった決断を強行されたのですが、これまで御子に支払われて来た莫大な予算を断ち切って、本当に国を危機から救うことになったのでしょうか。公卿たちの関心事は、天皇の決断が本当に行われることになったのかということでした。


為政者・嵯峨天皇


弘仁六年(八一五)六月十九日のこと


発生した問題とは


 現代でもよくあることですが、一見して大改革が行われるような態勢を見せるのですが、やがてはまったくそれは行われないままになってしまっていたことがかなりあります。果たして天皇の権力が絶対的な時代であった頃の決断です。旱魃の広がりで財政が逼迫していく中で、それからの脱出に苦慮している最中の決断でしたが、臣籍降下という大胆な決断は、本当に実行されたのだろうか・・・。かなりの関心事でした。


しかし公卿たちの杞憂は払拭されてしまいます。


天皇は臣籍降下させた親王、内親王を左京に移して、民との接触を容易にして、暮らしの道を拓くように仕向けていたのです。


(まこと)(ひろむ)(ときわ)(あきら)という親王の四皇子と、(さだ)姫、(きよ)姫、(うつ)姫、(よし)姫の四皇女を、左京に移しました。


決めたことをきちんと行い実証していかれたのです。


この年六月には、(ひろし)(さだむ)(しずむ)、生、澄、安、清、融、勤、勝,敬、賢、継という十三皇子。(さら)姫、(わか)姫、(かみ)姫、(みつ)姫、(こえ)姫、(よう)姫、(はし)姫、()姫、(みつ)姫、(よし)姫、(とし)姫などという皇女を、前述のように、左京へ移すという決定をされました。


前年の八人と今回の十三人を加えると実に三十二人という皇子、内親王を臣籍降下しただけでなく、臣民の中に入って生計を立てるようにという、厳しい思いからの臣籍降下であったのでした。


 政庁は天皇の身を削るという、思いがけない決断をきっかけにして、さまざまなことに注目して点検を行い、(ただ)すべきことはきちんと糺して整理と改革を進めていきました。


為政者はどう対処した 


 天皇が改革に真剣になっているのを知ったからでしょうか、その機運に便乗する形で、右大臣の藤原園人から、先祖の功封の返還をしてほしいと、次のような文書が提出されたのです。


 「私たちの高祖である大織冠(たいしょくかん)内大臣鎌子(かまこ)(鎌足)は、皇極天皇の時代に天下を統一して(ただ)し治めた功績により、封一万五千戸を賜り、嗣子正一位太上大臣不比等などは父を継承して大臣を排出する家風を立て、これにより慶雲四年に勅により封五千戸を賜りました。不比等大臣が固辞しましたため、天皇はその願を許し、二千戸に減定して、子孫に伝えることになりました。天平神護元年に従一位右大臣豊成が上表して返還しましたが、宝亀元年に勅により返賜され大同三年に正三位守右大臣内麻呂が上奏して返還を申しましたが、許しを得られませんでした。伏して格別の封戸支給の理由考えますと、先祖の功労によると思いますが、いま私たちは陛下のますますの寵愛を受けながら、僅かな功績もなく、御恩を被りながら深い山中に姿を隠すように責務を果たしていません。それなのに重ねて格別の恩寵を貪り、久しく年月を経て、転地に俯仰して恥じ恐れるばかりです。これでは満ちれば欠けるという天の戒めに背き、必ずや大臣としての任に堪え得ないことになりましょう。伏して、伝えられてきた功封を返還してわずかでも国の経費を補い、少しでも職責を果たさず禄を貪るという事態をなくすことを請願致します。よく考慮され、私たちの心からの願いを許して下さい。これにより私たち一門の幸いが永続し、世の批判も止むことでしょう。真心に迫られるままに、謹んで表を奉呈してお願いいたします」(日本後紀 


 天皇はそれを許しませんでした。


 右大臣の申し出たことは、時の改革気分に便乗しようという意図がはっきりしすぎています。


現在はとてもそういったことまで許すような余裕はまったくありません。さまざまなことで改革していこうとしていらっしゃったのです。やるとなったら中途半端ではいけません。正に現代的な問題でもあります。


 為政者には決然とした思いがなくては、真の思いは達成することができません。その時の都合で、途中で中断したままになっている公共事業も沢山あるのではありませんか。必要であればきちんと素早く行うべきであり、切り捨てるべきものは、容赦なく切り捨てるべきです。しかし功績のあった人のことはもちろん現在生きている人の功績も、政庁の財政を補助するために、犠牲にするという好意を受け付けることは出来ません。それは天皇が行おうとした決意とは違った問題となってしまいます。


 天皇は大臣の申し出を拒否しましたが、極めて本質的なことを大事にしようとしているのだということがはっきりとして、拍手したい気持ちになりました。


 天皇をはじめ政庁の責任者であるものが、雰囲気に便乗して個人的な思いを遂げるようなことは許されるものではありません 


温故知新(up・to・date)でひと言


 古代も現代もありません。大事なのは問題処理をきちんとしなくては意味がありません。ただ決まったことだからという、投げやりな姿勢でいることは許されません。やると決めたことについては、それなりの責任を持たなくてはならないということです。四字熟語にはこういう者があります。「後顧之憂(こうここれうい)というものです。言行一致で後に気がかりなことが残ってしまっては意味がありません。今回の改革の始まりは臣籍降下でしたが、世の中には男と女の問題の狭間で苦闘することに、生き甲斐を感じるなどと格好をつけていう、キザな人もいるにはいますが、そういった方は論外としておきましょう。今後のためにも、「銘肌鏤骨(めいきるこつ)です。肌に刻み付け、骨に彫り込み、深く心に銘記して忘れないようにしておかなくてはなりません。二度とその深みに落ち込まないようにして、「不言実行(ふげんじっこう)いたしましょう。理屈や釈明をせずに、黙って実行することです。したい放題をして後は知らんという、横着なことは絶対に許されるものではありません。けじめをきっちりとつけたいものです。


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